■痛々しい
我が家には姿見がない。もちろんドレッサーの類いもない。唯一あるのはバスルームに備え付けられている鏡1枚だけだ。出かける前、ボディ全体をチェックしたい時は、バスルームの浴槽のふちに乗り上がり、シャワーカーテンの棒に掴まりながら、洗面用の鏡に映し出している。 鏡。365日。自分の顔は必ず1度は見る。意識して見ているワケではなく、毎朝、洗面に立つ時、否応無しに映されている顔を寝ぼけ眼で眺めているだけである。自分の顔。今更特に何の感想も持たない。もう50年近く、毎日見ているいつもの見慣れた顔である。誰よりも愛着があって不思議はない。整形もせず、親から授かってずっとこの顔1筋で生きて来た1枚看板である。不服を言えばキリがない。それでも若い頃は「あっ、こんなところにニキビが」とか、陽に焼けて「皮が剥けて汚い顔」などと、少しは気にもしていた。兎に角、面倒臭がり屋がため、若い頃から化粧水、乳液の類いもほとんど使わず、洗顔後も何も着けずタオルで拭くだけだ。パックなどのケアの回数も、この50年間で手に余る数だろう。 確かに40歳を超える頃から「あれ、細かいシワがある」とか「やっぱり白髪が出て来たな」「引力には逆らえないな」など気付いてはいるし、老醜を曝していることに自覚もしている。しかし何度も言うが、自分の顔は自分が毎日見慣れているので、何が特に、どう変わったか、などについて余りにも疎い。些細なことと、あえてワザと見逃しているのかも知れない。よって、自分が年老いたことに気付くのが、他の誰よりも一番遅かったりする。これは私に限らず誰もが掛かる罠だろう。こと他人に対しては「近頃あの人も歳とったな」と気付くのに、である。 昨夏、キューバの革命家チェ・ゲバラが全面に印刷されている真っ赤なTシャツと迷彩色のカーゴパンツにゴム草履で過ごした。何が特にどうした、ということではない。歳をとれば服装の好みも自然と変わるか、と問われればノーである。街でふと気になる店に立ち寄り、買うとはなしにいつもの調子で服をチェックする。自分に似合う服のカタチや色も当然熟知している。「あっ、これこれ」と手繰り寄せ、店内の鏡の前に赴き、手にした服を自分に充ててみる。しかし、そこには想像してなかった自分が映し出されている。そこで始めて老いと遭遇するのである。背中がシャンと延びていない自分。思っていた以上に太っている姿。ハリのない顔。タレ下がった頬。何もかもが自分が描く自分のイメージと少しづつ違っているのである。 似合うと思って掴んだ服を元のラックに戻し、ガックリ肩を落として店を去る。歳をとれば取るほど、そんな経験が多くなる。そして自覚もする。がしかし、自分がイメージする自分は、哀しいかな、いつまで経っても消え去ることもなく、この手の嫌な自分との遭遇は永遠に続く気配である。 いつごろからだろう。自分がイメージする自分ではなくなっていたのは。それにさえ気付けない。若い頃と比べてファッションにさほど興味もなくなり、保管しておくスペースもないことから、服も買わなくなったことも一因しているかも知れない。昔はどの店を覗いても、どれもこれも欲しくなり、また何を着ても自分がイメージする自分が、そこに出来上っていた。まるでモデルのように着飾り、シナを作ってファッションを楽しむ自分がいた。そう、要は「昔、私はこうだったんだ」という驕りが、未だ老いを自覚させないでいるのだろう。 別に意識することなくゲバラの赤いTシャツとカーゴパンツで過ごしていたら、ある人に「痛々しい」と言われた。その人は本気で言ったのか、笑いを取りたかったのかは未だに不明だが、これは結構、自分にウケた。よって昨夏、帰国した時、同じ格好で同年代の友人だちに会い、この「痛々しい発言」を披露したところ、皆もこぞって笑ってくれた。しかしそれは肯定の笑いなんだろうか。誰1人として「それはナイよ、ひどい話だよね」的な否定の笑いはなかった。これは悩む。今でも悩んでいる。日本滞在中、ニューヨークにいる痛々しい発言の張本人にeメールで「痛々しいが結構ウケてます」と報告したところ、今度は「二の腕だけは出さないように注意して」という返事が返ってきた。さすがに二度目はウケてられない。その人は常に本気、正直だったことに、その時気付いた。腕も太くなってお肉も弛んでブルブルしているだろうが、その人の前でタンクトップを着たこともないし、ましてやキャミソールやフリフリのドレスなんかも着たことはない。自信がないからというより自分の恥ずかしさが先に立つ。大抵はロングスリーブか七分丈、半袖は肘丈までしっかりあるモノを敢えて選んで着ている。クリが大きく広がった胸元とか、ボディコンシャスなタイプも苦手だ。自分のキャラではない。その人は常々「○○さんのセンスは認めている」と偉そうに言うし、実際、私の見立てとあらば不平不満も言わず擦り切れてヨレヨレになるまで着ている。だから余計に、痛々しいに続く二の腕発言は、楽しいハズの日本滞在を憂鬱にさせ、老いと向き合う悲痛な時間へと変わっていった。 もうすぐ4月。ここ何日か暖かい日が続き、そろそろ春夏モノと思って何気にタンスを開けたら、例の痛々しいセットが出て来た。この服には何の罪もないし、相変わらず我が家に姿見はない。 2006年3月31日号(vol.119)掲載
by tocotoco_ny
| 2006-03-27 14:45
| THE untitled
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