vol.149/ラブホテルに行きたい<友野コージ>

 大学の頃、風呂無しのアパートで一人暮らしをしていた。そのとき付き合っていた女が部屋に泊まりに来ると、普段はふたりで銭湯に行っていた。でも、月に一回ラブホテルに行った。確か土曜日が多かったと思うが、昼頃から夕方5時頃まではサービスタイムと言って何時間いても3000円くらいだったような気がする。5時以降は休憩2時間で5000円くらいだから、遙かに安上がりである。当時僕は東京の吉祥寺に住んでいて、その吉祥寺にラブホテルが3〜4件あり、そこへ月に一回くらいのペースで彼女と行っていたのだ。覚えているのは、「パルゴ」という百貨店の「パルコ」のロゴを真似たラブホテルと、外観に自由の女神の像が建てられている「ニューヨーク」というラブホテルだ。他のラブホテルにも行ったが、もう名前は覚えていない。アパートの部屋でセックスはできるわけだから、別にセックス目的でラブホテルに行っていたわけではない。言ってみれば、「非日常」を味わいに行くのだ。いつも銭湯に行っていたので、ラブホテルに行くと誰に気兼ねすることもなく、ふたりで広い風呂にゆっくりと入ることができた。銭湯に慣れていると、ふたりだけで風呂に入れることはかなりの喜びだったのである。また当時はまだ風営法の規制がなされる前だったので、回転ベッドや天井や壁がすべて鏡張りになっているような淫靡な演出が施されていた。そのベッドでセックスするのも良し、昼寝をするのも良し、とにかくラブホテルは僕にとって子供が遊園地に行くようなドキドキがあったのだ。
 大学を卒業してからも、新宿歌舞伎町の裏にあるラブホテルや渋谷円山町のラブホテルによく行ったものだ。しかし、時がたつにつれてラブホテルはどんどんオシャレになってしまった。オシャレと言えば聞こえはいいが、僕からすれば淫靡さがなく非日常性が消え失せてしまったと言った方が当たっている。ラブホテルというネーミングさえあまり使われなくなり、「ブティックホテル」だとか「カップルホテル」などまるで意味のない名称変更までされてきている。まあそれでも、何となくラブホテルに行くことは楽しさがあった。風営法の影響で回転ベッドや鏡張りの演出はなくなってしまったが、それでもいわゆる普通のシティーホテルになくてラブホテルにあるものがいくつかある。まず第一にシティーホテルに入るとき、たとえカップルで入るにしても不倫や芸能人でない限り、人目を忍んで入ることはない。けれど、ラブホテルに入ろうとするときは何となく恥ずかしさがつきまとう。これがドキドキして楽しいのだ。そして、シティーホテルだってカップルで行けば目的はセックスに決まっているわけであるがコンドームは置いていない。ラブホテルは枕元に、僕の経験で言えば2つ程コンドームが置いてある。さらにラブホテルの方が風呂に凝っている。マットプレイのまねごとが出来るように洗い場が広くなっていたり、電気を消して真っ暗にすると浴槽の中からカラフルな光があらわれたり、まさに裸で遊園地に来ている気分になれるのだ。シティーホテルは風呂は大して広くないし、たとえ広かったとしても演出はない。また、ラブホテルでは有線も聞けるしカラオケも出来る。シティーホテルはテレビのチャンネルをかえると気取ったBGMが流れるチャンネルがあったりするが、有線はないしカラオケもない。ラブホテルに入って僕が一番はじめにすることは、有線のフォークチャンネルを流すのだ。確かB4かB5がフォークソングのチャンネルだったように思う。女とセックスしているときに、吉田拓郎の歌がかかったりするとたまらなく幸せなのだ。裸で腰を動かしたり、女の身体を愛撫しているときに「人間なんてララララララララ」とか「わたしは今日まで生きてきました」とか「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか」などの歌がかかると、快感と滑稽さとせつなさなどが混じり合った気分になり、妙に高揚するのだ。
 世の中というのは、清濁が混沌としているから面白いと僕は思うのだ。人間の心にも、自分さえ良ければいいというようなエゴイスティックな気持ちもあれば、他人のために何かしたいという清らかな気持ちがあるだろう。その両面があるからこそ人間は面白いし美しいと思うのだ。いかがわしいものをどんどん排除していって社会を無菌室にしていったら、素晴らしい社会が到来するかといえば、そんなことは絶対にないと断言できる。なぜなら人間の欲望は消えることがないからだ。
 さて、最近大阪のある小学校の真ん前にラブホテルがあることに対して父兄達がクレームをつけている。当初いかにもラブホテルと言うような極彩色の外観だったのだが、保健所からの指導でモノトーンの外観に塗り替えている。そして一応登録上はビジネスホテルということになっている。しかし、実質上はラブホテルではないか、そいつはけしからんということで父兄達が怒っているのだ。住民説明会の場で、そのラブホテル業者が「実質上ラブホテルだったとして、何か問題あるんですか?」と質問をすると、父兄達は「問題あるに決まってるじゃないか」と口々に文句を言っていた。僕はその父兄達に聞いてみたい。「なんで学校の前にラブホテルがあるといけないのか」その理由が知りたい。夫婦がセックスをして子供ができ、子供が小学校に通い出す。子供が小学校に入っても、その夫婦は家の寝室でセックスをすることもあるだろう。つまり子供が生活する場所で、セックスがなされているわけだ。それなのにどうして小学校の真ん前にラブホテルがあるのはいけないのか。子供が学校に行っている間に夫婦でラブホテルに行きたいが、子供や父兄にラブホテルに入るところを見られたくないから、学校の近くはやめてくれということなのか。それなら理由としてわかるが、きっとそうではないのだろう。夫婦というものは、通常家でセックスをするものだから、ラブホテルに行くカップルというのは結婚していない若いカップルかあるいは不倫カップルかさもなければ男がホテトル嬢を呼んで売春行為を行うか、そのいずれかであることが予想でき、つまりは家族制度から外れた男女のセックスに対して否定的な立場を取っているからクレームをつけるのか。僕には理由が全くわからない。小学校の隣にラブホテルがあるような、清濁が混沌とした環境で子供は成長していくのだと僕は思うのだ。そういえば、僕の先輩の家が、かつてラブホテルを経営していた。その先輩はそのラブホテルの近所で生活をしていた。しかし、今は立派な大人になっている。
……久しぶりにラブホテルに行ってみたいと思うのだが、一緒に行く相手がいないのが淋しい。人間なんてララララララララ。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*友野康治オフィシャルサイト「LOVE MYSELF」へもお立ち寄り下さい。
2008年3月14日号(vol.162)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-03-13 14:10 | ニッポンからの手紙
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