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vol.15/無名の人々<aloe352>

■スモールトーク初心者
 スモールトークを楽しめる人になりたい。アメリカに来てからというもの、スーパーのレジで、エレベーターの中で、そしてレストランで、とにかくあらゆる場所でスモールトークが展開されていることに驚いたものだ。英語にまだ慣れないうちは、スモールトークを生真面目に受け取って気軽に楽しめなかった。四角四面な答えを返して、広がるはずであった会話を強制終了させた経験は数え切れないほどある。ジョークを交えてテンポよく会話のキャッチボールを繰り返すこちらの人々の頭の回転の速さと心の余裕を、いつも羨望のまなざしで見つめている。

そもそも心の準備がない時に話しを振られるから困るのだ。かといって心の準備ができている時は滅多にない。荷物を送ろうと宅配引継店を訪れるのに、誰がスモールトークに備えようと思うだろうか。   
北風の強く吹く寒い冬の日だった。送付先の住所が書かれた紙切れをポケットに突っ込み、荷物を両手で抱えて家からバスに乗ってやって来た。やっとの思いでカウンターに荷物を置いて、受付の若い男に言われるがまま伝票に住所を書き込んでいた。外では冷たい風がぴゅーぴゅーと音をたてて吹き荒れている。店の客は私一人だった。いつ他の客が来るとも分からない。列ができる前に支払いを済ませたい。私は一心に伝票に向かっていた。ドアが開いて、「おー寒い寒い」と言いながら中年の女性が入ってきた。
カウンターに荷物を置いて、「これを送りたいの」とその女性は言った。受付の若い男は伝票を差し出した。数分前に私が受けたのと同じ対応だ。
「ボールペンを貸してもらえるかしら?」手袋を外しながら女性が言った。男は黙って店の奥に行き、机から持ってきたボールペンを女性に渡しながら言った。
「ボールペンは時間制。1分につき5円だよ。」
一瞬固まったのは女性だけではなかった。私はとっさに「もう何分このペン使ってる?」と自問自答した。数秒後、女性が言った。
「冗談よね?」
至って無愛想だった受付の男が吹き出す。驚く2人の客を目の前に、してやったりと笑い出した。「あーもうびっくりしたわ」と、女性も笑いながら手袋を振り回している。一気に和んだ二人はそれからおしゃべりを始めた。スモールトークの始まりである。
家からペンを持ってくれば良かったとまで考えた私は、心臓をまだどきどきさせながら、中断した伝票書きを再開した。スモールトークに参加する絶好の機会を逃したのである。ボールペンのレンタル話が本当だったところで、10分使っても50円。肝が小さい話である。
支払いを済ませ外に出て、北風を一層強く感じた。あの時、何か気の効いた一言でも言えたなら。スモールトークを振り返る余裕は、いつもある私である。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年4月11日号(vol.164)掲載
by tocotoco_ny | 2008-04-10 04:13 | 無名の人々
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