■帰れる…きっかけ
「○年○月○日をもって、我が社はアメリカから撤退します」 約5年前、会社がアメリカから消えて私は失業した。「親方日の丸」的な会社にあって、それにタカを括って暢気に生活していた日々が一転する——。そんな経験は、大小の差こそあれ、皆そこそこ味わって、この地で暮らしているのだろう。 元会社では永住権も取得できて、感謝こそすれ恨むことなど何もない。会社撤退後、永住権のお陰で不法就労者にもならず、ビザを失って帰国せざるを得ない状況にも陥らず、失業保険なんぞもアメリカから堂々とセシメて、路頭に迷うということもなかった。 帰る…、帰れる…、帰られるきっかけは、この時だったのかもしれない。 日本を離れて暮らしている誰もが、何かの折りに、ふと憶い出す。あえて避け、忘れていようと思っても心の奥底で考えている事。 帰国——。 そう、いつかは日本に帰らなければ…という思いに苛まれながら暮らしている。 その「きっかけ」を探しながら…、否、逆に、胸の内を隠しながらズルズルと思い留まっている。 かれこれ日本を離れて15年という年月が過ぎた。長くもあり短くもある。自らの強い決断が出来ず、外因から「きっかけ」を得ようとする。○○のために仕方なく帰る、というエクスキューズがなければ、素直に帰れられない状況にある。 誰のために何のための言い訳か?自問自答する。 自分が気にするほど、世間は誰も「そんな些細な事」など気にしてくれはしない。自分の思いあがり、独りよがりもいいところだ。 親が倒れたという要因で決断して帰る人が多い中、幸いにも、高齢ながら両親ともに健康でいてくれている。ありがたい、と本心で思う。何か外因はないだろうか…、と模索しながら日々を送っていると、有り難いか否かは別にして、突然、その知らせはやってくる。会社が忽然と無くなった時と同じだ。 「○年○月○日の契約切れをもって、退出をお願いします」 もう10年以上お世話になっているコンドミニアムのオーナーから、一通の手紙が届いた。サブプライムローンの影響かどうかは分からないが、ローンが嵩むため物件を手放したいという意向だ。 「長い間どうもありがとうございました」の一文で締めくくられた手紙を読み終えた時は、市内での引っ越しを真っ先に考えた。その数分後、頭の中は「帰国」の2文字でいっぱいになった。 失業後も何とか続けて贅沢な暮らしができたのも、このオーナーのお陰である。ミッドタウンの高層高級コンドミニアム。内情がどうであれ、幸運にも他人からみて羨まれるような生活をずっと続けられていた。ドアマン、コンシアージは当たり前。プールにサウナ、ジムまである。毎日仕事に出ていた頃はともかく、失業後、家に四六時中居る今でさえプールやジム、サウナを利用することは皆無だ。多分、これらのサービスを利用した回数は10年で5回未満だろう。それも友人が泊まりに来ていて「利用したい」というリクエストに応えるためのものがほとんどだ。 勿体ない、と人は言う。日本円にして毎月20万もの家賃を支払っているのだから、当然、利用できるモノは利用して、少しでも元を取れ、ということだ。人によって「価値観」は当然異なるが、私はプールやジム、サウナを利用せずとも、十分、今の暮らしに満足し、感謝している。 価値観——。 ニューヨークで暮らして感じたことの一つに「自分さえ良ければ精神」がある。 この考えを貫く日本人は多い。というか、私の周りにそういった人たちが集まってくるのかも知れない。 世のため、人のためとは言わないが、人を押しのけ、人を利用してまで、自分を守ろう(正当)とする卑劣な行為を、どれほど味わされてきただろう。恩義を感じてくれなくてもいい、苦しい時はお互い様だと思う。しかし、それを仇で返されるという苦い思いも、何度も繰り返し経験した。 情けなくて言葉も出ないことも多い。価値観ってなんだろう?「価値観が違うから…」という言葉で一蹴される世の中に、私が、そぐわないのだろう。 いくらレント代が支払えると言ってもフリーランス業において、どこか新しく部屋を借りることなど到底ムリな話である。どんな会社であれ、規模の大小に関わらず会社と名乗る某との雇用契約書は不動産契約において避けて通れない。ことマンハッタンに居続けたければルームシェアを見つけるか、サブレントでその場しのぎを繰り返す以外に道はない。 ましてや失業後、ささやかな貯金も済し崩しでドンドン消えていった。よって常套手段ともされている1年分を一括で支払って「金にモノを言わす」手口なども使えない。まともにデポジットできる見せ金や、年間家賃の15%を支払うブローカーフィすら払う余裕も、もうない。 同じ20万円の家賃を払うなら、日本の方が良い物件が見つかるハズ…、いっそ若い頃から念願だったハワイにでも移ろうか…、と考えが日々変化する。どの州であれアメリカ内に留まって引っ越しするも、帰国するのも、一旦、荷物を片付けて括るという手間は同じだ。他国に移るにはビザなどの問題もあるが、その考えもまた広がる…。 毎日ネットで世界中の物件を、見るとは無しにボーっと眺めているが、未だ着地する確かな場所が見つからない。 帰る…、帰れる…、帰られるきっかけは、今かもしれない。 2008年6月13日号(vol.168)掲載 *お知らせ*THE untitled vol.09〜vol.45は、カテゴリー「キューバの歩き方2006」に移動しました。 Copyright © 2000-2008 tocotoco, S.Graphics all rights reserved.
by tocotoco_ny
| 2008-06-13 01:52
| THE untitled
|
カテゴリ
全体 バックナンバー 2008年12月26日号 2008年11月号 2008年10月号 2008年9月号 2008年8月号 2008年7月号 2008年6月号 2008年5月号 2008年4月号 2008年3月号 2008年1、2月号 2007年1〜12月号 2006年1〜12月号 特集見開きページ toco流 SOUVENIR from NY tocoloco アンダードッグの徒 ニッポンからの手紙 ヴェルサイユの鯖 Kamakiri no ashi 人妻日記 ご無沙汰むかで オンナの舞台裏 THE untitled 2万円でどう? 無名の人々 ガイドブックにない島 ゴタムのうたげ キューバの歩き方/2006 定期購読のお知らせ tocotoco設置店リスト 編集部からのお知らせ 残念ながら廃刊しました!
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||