10代の私は、胸板の厚い平泳ぎの選手だった。県大会で何度か優勝し、天の采配が狂ったのか、一度だけ全国大会で大会新記録を出して、優勝したこともある。県内の大会でヒーローインタビューされ、翌日地元の新聞に名前が載るというのが、私の夏休みの一コマだった。
ご多分に漏れず、五輪出場に憧れていたが、案の定カスリもせず、全国レベルの大会に出ては、たいてい、体一つ分先を泳ぐ「一流選手」の水しぶきを飲まされ、帰りの新幹線の中で、また増えた銀・銅のクズメダル=無名選手の証を凝視しながら、悔し涙をこらえた。 余談だが、アマチュアスポーツに限って言えば、体力を競うなどというバカバカしい遊びは、1位を決めるだけで十分だと思っている。競技の結果が人間の質を決定付けるというのなら、2着3着の負け犬にも、何か褒美をくれてやってもいいと思うが、実際そんなことはないのだから、頂点に立った者以外は全て、「その他大勢」で良いと思う。所詮、競技が終われば「帰って飯食う」って程度のお遊び。それくらい残酷なほうが、スリリングである。そもそも「どうしても銀を首にかけたい!」と切望して、つらい練習に耐えるアスリートなどいないのだから。もちろん大会の規模や参加者の出身国によっては、競技成績がその人の社会的(経済的)地位と将来を、決めてしまうこともあるだろう。それなら、その国だけで2位3位を表彰すればいい。 話を戻して---。結局、地元レベルのまま、性懲りもなく練習を続けた。ポツリポツリと増える金メダルは、当時の私にとって「努力は報われる」という証明だった。努力がそれなりに(かろうじて)報われたことで、その後私は生活全般において、「思い通りにならないのは、努力が足りないからだ」と思い込み、はた迷惑で未熟な体育会系のまま、20代に突入。周囲から「やっぱり体育会系は根性あるよね。」などと、(今思えば)煙たがられた。 22歳あたりだったか。遅ればせながら、世の中努力だけでは、どうにも変えられないこともあると気づき始めた。「スポーツのお陰で、努力を覚えた」という自分の安直な発想に、ちょっと嫌気がさして来ていた私は、曾野綾子のエッセイ集で、おおよそ次のような内容の個所を目にする。 〜スポーツの良さとは、やれば出来るなどと思い上がることではなく、どんなに努力を重ねても、自分の先を涼しい顔で行く強者がいるという現実と向き合い続けることで、限界を認め、受け入れ、そこから謙虚に柔軟に成長する(可能性が生まれる)こと〜 意識革命だった。そう!それ!全面的に賛成!アタリ! その文章のお陰で、一流選手として世界中の強豪を相手に、頂点を争うなどという、華やかな不幸に見舞われずに済んだことに、心から感謝出来た。現役選手の頃の自分を、「そこまでしぶとく負け続けるとは、あっぱれじゃ」と讃えることが出来た。「その他大勢」の域から出ることがなかったからこそ、なんとかこうして、まともな大人になれたという奇跡を、愛おしく感じた。努力の本当の見返りは、努力の限界の更に先にあったのだ!と閃いたその瞬間、私は、「元二流選手」から「一流の元スポーツ選手」に昇格した。「元一流」ではない。「元選手」のあり方として、「現一流」。何をやるにしても、「上には上がいる」ことがデフォルトであり、醍醐味である。敗戦経験が活きるのは、かつて勝利を真剣に狙ったからこそ。一流の二流っぷり。 (原文まま) *掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行* 2008年6月27日号(vol.169)掲載
by tocotoco_ny
| 2008-06-26 11:58
| オンナの舞台裏
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