「落語」
先日、自分でお金を払って初めて落語を見た。小学生のころに学校の体育館で見たことはあったが、それは授業の一環であり、自分の意思とは全く無関係の行為だった。 しかし、先日は自分で見たいと思い大阪に唯一の定席「天満天神繁昌亭」に行ってきた。そこは、1階席と2階席にわかれていて、100数十名も入れば満員といったような、小さな小屋。お客さんは、昼席ということもあり他府県から観光に来た人たちに混じって若者がちらほら。そのためかどうかは分からないが、演目は年配向けのモノも多数混じっていたように思う。 しかし、「落語とは時代の流れとは一線を画したもの」と勝手に思いこんでしまっていた私の考えは、かなり浅はかだったと気づかされた。たった1回の落語体験で語ってしまえるものではないが、噺家が如何に社会で生きているのか、時代や世間を見ているのか、そして、それをネタに落とし込んでいる姿が、芸の奥深さを感じさせてくれた。ここに、大衆芸能と言われる由縁があるのではないかと、思ったのだ。 さらに、人の発言の一部をつまんですぐに眉をひそめて文句を言う風潮に足りないものが落語にあると感じた。「やれ自粛だ」「やれ教育に割るいだ」と言って、結局、上っ面でしか情報が伝わってこないが、噺家はいとも簡単に(?)、その壁を越えて笑いにかえていた。 「何ですぐ関西人はオチを求めるのか」と言われるが、笑いとはつまり寛容さなのだ。笑えないようなことを笑いに変えてしまえるからこそ、噺家は高座に上がるのかも知れない。キャラクターが違うだけで、ネタの展開が同じピン芸人が最近よくテレビに出ているが、彼らはいずれ消えていくだろう。 しかし、高座に上がり続ける人たちの時代を感じつつも迎合しない姿を見ていると、落語の奥深さや熱中している人の気持ちが少し分かったような気がした。 「京阪電車」 京都と大阪を結ぶ電鉄と言えば、京阪電鉄である(JRも阪急もありますが、あくまで私にとって)。その京阪が、このたび半世紀ぶりに車体のデザインを一新する。これまでは、急行以下、準急、普通は緑と黄緑、特急は、オレンジとエンジ(?)の2色のものだったが、今回は、白が加わり少し爽やかになった。 京阪と言えば、以前にも書いたが「おっさん」のかぐわしい香りどこからともなくにおってくるのが有名である。どの電鉄の車両に乗っても億さんの比率とというのは変わらないと思うが、京阪は、ダントツでそのニオイがきつい。是非とも鴨川のカップルの距離について、論文を発表した先生にこれについても調べて欲しいほどだ。これも先入観の一つなのかも知れないが、白が爽やかさを演出してくれるのか、いなかは今後の京阪にかかっている。 (原文まま) *掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行* 2008年6月27日号(vol.169)掲載
by tocotoco_ny
| 2008-06-26 12:06
| Kamakiri no ashi
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