vol.157/犬でも飼おうかなあ<友野コージ>

 久しく彼女も出来ないし、彼女でなくてもセックスフレンドでもいいのだが、そういう女っ気が全くないものだから、もう女はあきらめて犬でも飼おうかと思っている昨今である。出来れば、メスがいいかなあなどと思ったり…。
 思い起こせば、小学生のとき犬を飼っていた。すでに10歳を越える雑種だった。シェパードが混じっている雑種だったからか、カワイイと言うよりは精悍で男らしくカッコイイ犬だと思った。
 自分が飼いたいとワガママ言ったわりには、今思い出すと、僕は決していい飼い主ではなかった。犬のことをよく理解していたわけではないし、丁寧に世話をしてあげたわけでもなかった。散歩も気まぐれで連れて行ったり行かなかったりだった。
「ジュン」と名付けたその犬は、それでも僕にとても優しかった。未熟な僕を未熟と知りながら受け入れ、そしてリードしてくれたような気がする。
 小学4年の頃、僕は野球少年で地域の少年野球のピッチャーをやっていた。
 6年生がエースだったので、僕は2番目のピッチャーだった。
 朝か夕方に、ジュンを連れて近所の浜辺に行き、砂浜のはしっこに的を作り、ピッチングの練習をした。ジュンはキャッチャーをやってくれた。僕が球を投げるたびに、口で球をくわえて僕の所まで走って持ってきてくれた。その雰囲気も何か堂々としていた。僕の投げる球を真剣なまなざしで見て、それからボールをくわえ、持ってきてくれる。ボールを僕を差し出す際の表情は「なかなか、いい感じだぞ。ほれっ、もう一球」と言いたげな様子だった。まさに僕をリードしてくれていたのだ。
 練習に行くのが面倒な日もあった。「今日はやめるか」と思っていると、必ずジュンが吠え出す。ジュンの表情を見る。あの顔は明らかに「散歩に連れて行ってくれ」という顔じゃなかった。「おまえ練習しなくていいのか」そんな目をしていた。その顔を見て、しょうがなく練習に行った日が何度もあった。
 ジュンに無理矢理行かされた?練習のおかげで、僕は5年生になるとチームのエースになった。
 そして6年生になった夏、地区優勝をして、県大会に出場することになった。
 浜辺での練習も気合いが入った。ジュンと練習を始めてもう3年。ジュンは海に着くと一目散に僕たちの練習場所に駈けていった。その場所は、すでに二人の秘密基地のような感覚だった。
 1球・2球・10球・20球・50球・60球と僕が満足するまでジュンはつきあってくれた。
 県大会が始まった。僕は両親にジュンの散歩を頼んだ。そしてジュンに、「頑張ってくるぞ」と言い残して試合に出かけた。
 1回戦、僕のチームは見事勝利を納めた。夜、喜んで家に帰った。すると母親が「ジュンが散歩に行きたがらない」と言った。
 2回戦は1週間後。僕は1日休んで、その次の日からまた練習をした。勿論ジュンも一緒だった。
 2回戦の日の朝、ジュンは「ワン」と力強く吠えて僕を見送ってくれた。あのワンは「行ってらっしゃい」のワンではない。ましてや「僕も連れて行って」のワンでもない。まちがいなく「負けるなよ」のワンだった。
 でも、結局負けてしまった。がっかりして、家に帰った。するとジュンはまた散歩に行きたがらないようなのだ。野球も終わり僕も気分的に余裕が出来たので、その二日後にジュンを軽い気持ちで病院に連れて行ってみた。・・・気がつけばジュンは、人間で言うと80歳くらいのおじいさんになっていた。獣医さんは「足腰がかなり弱っていて、歩くのもかなりしんどいのだと思う」と言っていた。
 僕は全然気がつかなかった。僕と練習に行くときは、つらい素振りは全く見せなかった。
 ジュンは僕のために無理をしてくれたのだ。つらい表情を全く見せずに、僕を見守ってくれたのだ。
 砂浜を走るのはかなりきつかっただろうに。
 病院の帰り、そんなジュンを見て、僕は涙が出た。

 最近、時代が変わったのか、僕が田舎に住んでいたからなのかよくわからないけれど、僕が子供の頃は犬を飼っていると言えば雑種かコリーやハスキー、レトリーバーなどの大型犬が多かった。最近は小型犬が目立つ。そしてよく耳にするのが、「犬と一緒にいると癒される」という言葉だ。僕はこの言葉にちょっと疑問を感じる。「癒す」とはそもそも傷や苦痛を直すという意味である。あなたはそんなに精神的に苦痛があるのかと質問したくなってしまうのだ。せいぜい一人暮らしの淋しさや、仕事上の人間関係のストレス、失恋の痛手、そんなものから解放されるという意味で「癒される」という言葉が使われている気がしてならない。ここ10年以上、何か元気のない日本社会。僕は思うのだ。「いつまでも癒されてんじゃねえよ、前に向かって進もうぜ」と。
 犬に癒しなんか求めてはいけない、と僕は思う。犬が僕たちに与えてくれるのは、何の見返りも求めないひたむきな愛情と生きる勇気なのだから。
 …などともっともらしいことを主張しつつ、女っ気のない自分の心を癒すために犬を飼おうとしているのは僕である。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*友野康治オフィシャルサイト「LOVE MYSELF」へもお立ち寄り下さい。
2008年7月11日号(vol.170)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-07-11 11:53 | ニッポンからの手紙
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