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vol.136/すべてを知ることは不可能である<Takaki Matsumura>

「掃除好き」
 掃除が非常に上手い人や掃除好きな人というのが世の中にはいる。仕事場の机が、整っていたり、ファイリングが綺麗になされていたり。そういう人を見る度に羨ましくなる。私の勝手な思いこみかも知れないが、そういう整理整頓などが上手い人は、きっと捨て上手なんだと思っている。vol.136/すべてを知ることは不可能である<Takaki Matsumura>_f0055491_3364617.jpg
 たいていの場合、私の机にあるモノは不必要になる、もしくはなるであろうモノであふれかえっている。そもそも、新しく置かれたモノでも多くの他人から見れば、「それ必要なの?」と疑問に思われるような代物が多いんじゃないかと思う。何故そう思うかは、年末にやってくる大掃除で、何度も「ずっと取っておいたけれども結局使わなかったなぁ」なんて思うことがほとんどだからだ。
 恋愛にしてももしかしたら同じことが言えるんじゃないかと、ふと思った。私は女性との想い出が捨てられない。実際に写真などが捨てられないと言うことではなく、心の中から、いわゆる記憶として残っているという次元ではなく、「いいなぁ」なんて思う感覚が少なからずどこかに残っている。それは、ほとんどの女性に捨てられ続けてきたからかも知れない。未練がましく思っていると否定されればそれまでで、気持ち悪さを感じる女性もいるだろう。しかし、私の机の上同様、そんなに簡単に片付くものでもない。
 ごちゃごちゃしてしまうときにはやはり、掃除好きに憧れを抱いてしまう。
「類型化」
 日本人という人種は、極めて類型化の好きな国民だと思うことがしばしばある。管理職と呼ばれる人が、毎日、管理を行いやすくするために類型化を行っているが、それ以外にも若者の会話の中で「○○系」という言葉をよく耳にするし、性格を判断するときに女性たちは血液型を指標とすることが多い。最近では、ファーの帽子を被って大きなヘッドフォンをしている子を歌手の青山テルマの姿を真似ているとして、テルマーなんて呼んでいたりもする。それは一応単一民族国家の中で生まれた共同体意識なのかなんなのか、難しいところは分からないが、とにかく多い。
 囲いを作りたがるのは端的に説明したいからかも知れないが、それによって個が見えなくなってしまうこともある。例えば、サッカーの「海外組」や野球の「日本人メジャーリーガー」という言葉がそうだ。これは海外のサッカーリーグやメジャーリーグでプレーをする日本人に対して、総称として使われる囲い。
 確かに説明を簡単にするためには便利である。しかし、結局のところ、どのチームでどんな活躍を個々がしているというところまで興味がない人は知らないし、「なんか海外で活躍しているすごい人」などという曖昧な評価になってしまう。これが、総称などがなかったらどうだろう。ヤンキースの松井秀喜選手、レッドソックスの松坂大輔選手、マリナーズのイチロー選手などは、あってもなくても活躍が報道されているし、野球というスポーツの特性上、テレビ中継の間でも1人がアップで映る時間が長い分、何となくその人の顔もチーム名も覚えれる可能性が高い。しかし、サッカーとなると「海外組」のひと言でくくられてしまうと、好きな人以外はよく分からない、さらに、誰がどのチームに所属しているのかすらも見えてこないという状況を生み出している。
 「何となくすごいらしい」というのが、蔓延してしまって囲いだけで語ってしまうという本末転倒なことになっている。顔が違うように、それぞれ違う。ひとつひとつ見ないことには、結局のところ面白さも分からない。それでは時間が足りないと思うのであれば、考え方を変えればいい。すべてを知ることは不可能である。時間には限りがあるのだと、欲望を制限すればいい。
 まぁ、そうは言っても無理な気もするが…。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年7月25日号(vol.171)掲載
by tocotoco_ny | 2008-07-25 03:37 | Kamakiri no ashi
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