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vol.169/ラスト・サンクチュアリ<黒須田 流>

 珍しくOさんからメールが届いたと思ったら、「知人のY氏がニューヨークに行くので案内よろしく」という頼み事だった。これが若くてかわいいコだったら二つ返事で引き受けるのだが、Y氏が60ちかいオヤジときいて些か気分が重くなった。いくらY氏が国内外で数々の広告賞を取っている有名なコピーライターだとしても、私には何の関係もない。私がオヤジ達と行動を共にして楽しいと感じるのは互いの懐にある金銭をやり取りする時ぐらいで、それ以外なら寝ている方がまだましである。しかし、Oさんには昔からさんざん世話になった恩義があるので、無下に断るわけにもいかず、一週間程Y氏のお供をすることになった。
 Y氏のニューヨークでの希望はただ一つだけ、今シーズンで最後となるヤンキースタジアムでボストンとの試合を観戦することだった。Y氏と好みが一緒で助かった。これがメッツ対ブレーブスの試合に行きたい、とでも言われたら、どうぞご自由に、となっていただろう。
 カネがない、時間がない、松井選手がケガで出ない……と、いった諸事情が重なり、この頃はもっぱらテレビ観戦だったのだが、そんな理由で久しぶりにヤンキースタジアムに足を運んだ。
 ファンと敵の選手としての会話が存在する唯一の場所——マリナーズのイチロー選手はヤンキースタジアムについてこう語っている。野球やバッティングの高みを追い続ける求道師のようなイチロー選手にそう言われたらファン冥利に尽きるというものである。では、ヤンキースタジアムと他の球場との違いは何なのだろう。
 ワールドシリーズ最多優勝(26回)、数多のスタープレーヤーを輩出した輝かしい歴史と伝統、この地で数々のドラマや伝説が生まれ、選手やファンに、いや、ニューヨーカーにとって特別な場所であることに違いないが、そうした記録や数値として表れるものでなく、ここに不文律があるからだと私は考える。
 ヤンキースタジアムでの野球観戦は、観客と演奏者や役者が一体となって、独特の空間や雰囲気をつくりあげるクラシックコンサートやオペラあるいは歌舞伎鑑賞に似ている。観客はいくらカネを払っているからとて、勝手な振る舞いは許されない。笛や太鼓と鳴り物を使わず、応援は拍手と声援だけと無骨なくらいシンプルである。もしも、不文律を犯すような不届き者がいたなら周りから、「Go to Shea!」と罵声を浴びせられる(そういう余計な事をしたいならシェアスタジアム(メッツのホーム球場)に行けという侮蔑的な意味)。
 だから、ヤンキースタジアムで「イチローさ~ん♡」などとバカな日本人観光客が声援を送ることも本来は御法度なのである。イチロー選手クラスともなれば、その辺の機微を察し、むしろ、ブーイングされることを楽しんでいる節がある(敵地でのブーイングが大きくなればなるほど、その選手の実力を認めている証だからだ)。
 ところが、近頃それが少し変わりつつある。理由の一つはチケット料の高騰である。ヤンキースの試合は人気が高く仕事や営業にも使われる。プレーオフやワールドシリーズともなれば更に顕著で、一般にチケットを入手するのはほぼ不可能である。今風に言えば、空気の読めない田舎者や野球をよくわかっていないミーハー連中が我が物顔でシートにふんぞり返っている。そんな客が増えれば、球場内の雰囲気が違ってくるのも当然だろう。
 今シーズン限りで現ヤンキースタジアムは取り壊され、来シーズンからは隣りに建設中の新スタジアムがヤンキースのホームグランドとなる。けれど、完成したからといってすぐに新しいスタジアムがこれまでと同様に野球を愛する人々にとっての聖地になるとは限らない。「仏造って魂入れず」にならぬことを祈る。
(原文まま)
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2008年7月25日号(vol.171)掲載
by tocotoco_ny | 2008-07-25 03:54 | アンダードッグの徒
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