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vol.115/最悪—1<黒須田 流>

 はじめに断っておきます。
 今現在、食事しながらこれを読もうとしている方(特にカレーを召し上がっている方)は読み飛ばすか食事が終ってから再度お読みください。

 はい、ゆっくりと目をとじて、あなたにとって最悪の状況のイメージしてください……さあ、それはどんな状況でしょうか?

●眠れないほどの歯痛や頭痛にもがき苦しみ一夜を明かした時……(ふむふむ。そりゃツライですわな)
●目の前で自分の車がレッカー移動されていくのを見送る時……(己の所行より運の悪さを恨みますよね)
●浮気の現場を奥さんに踏み込まれた時……(どこまでシラを切り通せるか男の甲斐性の見せ所です)。
●さんざんカネと時間を費やし、やっとホテルに連れ込み、さあ、これから、とやる気満々の状態で、シャワーから出てきた彼女がひと言、「ゴメン。はじまっちゃったみたい」……(「いや、オレは全然気にしないよ」という旨を持てる限りの語彙と理論を駆使し、大統領の選挙演説よりも熱く語っても、女性が一度無理と決めたら無理みたいですよ)。
 このように「最悪」——最も悪い事や状況——といっても、人によってさまざまな「最悪」があります。

 さて、2月のある日のこと。
 深夜にお腹の具合に違和感を覚え、便意を催した信治は排泄行為をすべく、自宅のトイレへと向かった。
 ———(しばらくお待ちください)———。

 「ふうっ」と、ひと息き、フィニッシュした紙を便器に捨て、水洗レバーを引いた。
 ジャー——ハイ、すっきり、これですべて作業は完了、の、はずだった。
 しかーし、「予定は未定」「一寸先は闇」「人間万事塞翁馬」といった格言通り、人生なにが起こるかわからない。
 普段ならばそのまま流れている水、いや、正確には水と一緒に流れているはずの排泄物が、なぜか重力に逆らって、浮上してきたのである。

 「Why?」こんな切羽つまった局面で英語を使うあたり、オレもアメリカ生活長いな、と、信治は自分自身に感心する余裕などあるはずもなく、「おっ、お願い、止って」と、心から日本語で祈った。
 信治の日常には、教会で賛美歌を歌ったり、メッカに向かって祈りを捧げるようなことはない。
 彼が祈るのは自分が買った馬券の馬が第四コーナーをまがった時と応援しているチームが試合に勝っている時だけである。そんな信治の願いを神が聞き入れてはくれるはずもなく、水嵩はどんどん増していった。
 茶色の水がもう少しで便器の縁に届きそうになった瞬間、信治は心のなかで「あぁ、神様!」と叫んだ。
 もしもこの時、信治の脳裏に「表面張力」という言葉さえ浮かばなければ、慈悲深い神は日頃の彼の敬虔のなさをもお許しになり、逆流する水を止めていたかもしれない。けれど、たとえ一瞬でも科学の力を信じたことが、神の機嫌を損ねてしまった、かどうかは定かではないが、いずれにせよ、排泄物とほどよく混ざった茶色の水はピチョピチョピチョと音をたてながら、無情にもトイレの白い床に滴り落ちていった。

 ——絶望。茶色の水がまるで生き物のように床に拡がっていく様をぼんやりと眺めながら、信治は己の無力さをつくづく感じていた。
 これがレストランやカフェなら、何事もなかったような顔をして出て行くことも可能だが、さすがに自分の部屋のトイレではバックレルこともできない。
 どうしたものだろうか?今後の対応を考えようとしたけれど、虚脱感とパニック状態のダブルパンチで思考が上手くまとまらない。現状では手のつけようがないし、とりあえず、便器の水がひくまで待つしかないだろう、という結論に達した。あくまでその場しのぎでしかないのだが、「とりあえず」と思うことによって、なんとなく本人は納得した気になれる。居酒屋に入り、ウエイトレスに「とりあえず、ビールね」と注文するかように安易な選択をしたのである。そして、これは断じて現実逃避でないと自分自身に言い聞かせながら、信治はトイレのドアを閉めた。

 人間が最後にかかるのは「希望」という名の病気です——と言ったのは誰だったけ?
 これから直面するであろう悲惨な状況が自分の想像よりも軽くあって欲しいという願望からか、そんなどうでもいいことを思いながら、信治は恐る恐るトイレのドアを開けた。

 「ウェッ」。悪臭と茶色の物体が白い床に散らばった光景を見て、口の中に唾液が広がった。が、辛うじて、これ以上、状況を悪化させることだけはなんとしても避けなければならない、という理性は残っていた。カレーの上にお好み焼きをぶちまけるようなことになれば、それこそカタストロフィである。
 どうにか込み上げてくるものをグッと飲み込み、数回深呼吸をした後、息を止め、状況を確認した。

 ほんの数分前まで自らの体内にあったモノをなぜこれほどまでに嫌悪するのだろう?といった疑問を信治は抱いた。しかし、生理的な感情は理屈や理論よりも優る。日頃、屁理屈をこねることを得意としている信治だが、「だってイヤなものはイヤなんだもーん」と、彼の思考はすっかりギャル化していた。
 世の中には他人のソレを「黄金」と呼び、ありがたく頂戴する連中もいるらしい。価値観や嗜好はそれぞれであり、そこに優劣はないのだろうが、信治はそういう趣味を永遠に理解できないように思えた。

 人間の順応性、適応応力はなかなか優れたもので、周囲の環境がいかに過酷であろうともそれを克服する強さを備えている。地球上のあらゆる場所や地域に人間が棲息していることが、それを証明している。
 はじめは悲惨な現場を直視することすらままならなかった信治だが、時間が経過するとともに次第に冷静さを取り戻していった。「これって、いつ食べたやつだろう?」などと、茶色く変化した物体を検分しながら、原形を想像するほどの余裕すら出てきた。
 ただ、それは「探究心」と呼べるような崇高なものではなく、これからやらなければならない「掃除・かたづけ」といった実務を少しでも先延ばしにしたい、という逃避願望がそうさせたのだろう。

 決して自慢できることではないが、信治は家事が苦手である。
 食事はほとんど外食ですませ、洗濯は近くのランドリーにドロップ・オフして、ピック・アップするだけ。たまに気が向いた時に掃除機をかける程度で、べつに綿埃がたまっていても気にならない。どうしても重い荷物を運ばなければならない時には年下の若い連中を呼びつける。
 つい先日も、たまたまギャンブルで小銭を手にした信治は、その金で近頃流行の薄型テレビを購入したのだが、その取り付けも大工仕事が得意な知り合いのタケシさんとカナエに頼んだ。信治は「あっ、もう少し上。いや、ちょっと左が下がっているかな」と、傍らで指示をするだけで作業は二人に任せきりだった。
 元々不器用ということもあるのだろうが、要は何かするのが面倒くさい、ただ単に「ナマケモノ」なのである。信治が家の事でやれると言えば、せいぜいトイレットぺーパーと切れた電球を替えるくらいである。

 そんな彼がいかに「自分の播いたタネ」とは言え、これからトイレの掃除をしなければならないのである。しかも状況は限りなく最悪に近い。
 しかし、この時、信治は「最悪」という言葉の意味をまだ本当に理解していなかった。(続く)
Writer 黒須田 流
(原文まま)
*掲載号では、校正、編集したものを発行*
*お知らせ* 同コラムのバックナンバーは「アンダードッグの徒」のオフィシャルサイトの書庫に第1回目から保管してあります。お時間のある方は、そちらへもお立ち寄りください
2006年2月28日号(vol.117)掲載
by tocotoco_ny | 2006-02-23 03:46 | アンダードッグの徒
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