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vol.176/I live for this.<黒須田 流>

 元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎が10月26日タイ・バンコクで復帰戦を行なった。なぜ、日本ではなくタイなのか?というと、日本ボクシング協会(JBC)の規則では健康上の理由等から37歳になると自動的にライセンスが失効する(一部の特例はあるらしいが)。つまり、現在38歳の辰吉選手はプロボクサーとしてリングに上がり、試合をすることが日本国内では許されないのである。
 さて、試合は辰吉選手が2RTKO勝ちを収めたのだが、試合後、JBCは今回の復帰戦に関与したタイ側のジムの会長に事情聴取を行い、今後タイ国内ではJBCライセンス保持者以外の試合禁止を要望したというのだ。しかも要望とは名ばかりで、もしJBC側の意向に応じない場合には同ジム所属選手の日本での試合出場を認めないなどの制裁措置も含まれているので、ほとんど脅しにちかい。これによって、辰吉選手の現役続行の道が断たれる可能性がますます高くなった。辰吉選手はボクサーとしては致命的とも言える網膜剥離を克服して世界王座に返り咲いた男である。しかし、王座から陥落して既に10年が経ち、年齢的にも肉体的にもピークが過ぎていることは本人が一番よくわかっているはずだ。それでも、彼は現役にこだわり続ける。世界の頂点に立ち、地位も名誉も手に入れた男がボロボロになってまで闘おうとする。ヘタすれば死ぬことも有り得るのに彼をそこまでリングへと駆り立てるのは何なのか、私のような者には到底理解できない。現役か引退か周りがどうこう言う筋合いではないだろうし、自分の人生を自分で決められないのもおかしな話である。ただ、本人が命を削る覚悟でやりたいのなら納得するまでトコトンやらせてあげたい。そして、一ファンとして最後まで彼の闘う姿を、生き様を見届けたいと思う。
 それは無責任だという意見もあるだろうが、では、人道的なもっともらしい意見を述べたり、生きてさえいれば良しとする考え方がはたして責任あると言えるのだろうか。
 誰にでも「I live for this(このために生きている)」という瞬間、あるいは「これをしている時に『生』を感じる」というものがあるのだろう。それは、労働の後のビールであったり、子供の笑顔であったり、家族団らんのひと時であったり、大切な人と過している時間だったり、美味しいものを食べている時であったり、面白いマンガを読んでいる時だったり、アダルトビデオを観ながらオナニーしている瞬間だったり、ゴルフをしている時だったり、舞台に立っている時だったり、仕事や研究に打ち込んでいる時だったり……その「時」や「瞬間」は人によって様々なのだろう。辰吉選手にとってはたまたまそれがリングに上がり、試合をすることなのかもしれない。
 戦争を放棄し、経済的にも恵めれ、世界一の長寿となった日本人はあらゆる面で過保護になり過ぎているような気がする。長生きを否定するつもりはないけれど、人命が何よりも尊いという価値観が万人に通用するとは限らない。誰もが「死ぬ時はポックリ逝きたい」みたいなことを言う。それは寝たきりになったり、誰かに迷惑をかけてまで生きていたくはない、という意味なのだろう。
 幸福の基準はそれぞれである。日本国憲法でも幸福追求権(第13条)は認められている。もちろん幸せのためなら好き勝手やっても良いというわけではないが、世の中には健康で安全に平和に暮らすことに幸せを感じられない人だっているのだ。だからとて命を軽んじ、死を奨励するつもりもない。むしろせっかくの命を自ら絶つなんて勿体ないと思う。たとえ周りからすれば取るにたらないような事でも、自分が楽しい、面白いと感じるものが何か一つでもあるなら私は命の続く限り、惨めに這いつくばってでも生きてやる。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年11月14日号(vol.178)掲載
by tocotoco_ny | 2008-11-13 06:34 | アンダードッグの徒
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