vol.31/無名の人々<aloe352>

■今日も彼は
 図書館に行くと彼はいつもの席にいた。彼とはこの図書館のガードマンである。紺色の制服に鍛え上げた身体を包み館内に常駐しているのである。多くのガードマンがそうであるように、彼の見た目は恐い。とてもじゃないがこちらから何か話しかけようとは思えない。ゆっくりとした動作の中視線だけをきょろきょろと動かしている。悪者を見つけた暁には本領を発揮するぜ、そんな静かな凄みが感じられるのだ。
 どういうわけか彼は他の職員と同様に専用のデスクとコンピューターを持っている。たまに館内をパトロールする以外はその席に座ってコンピューターをいじっているのだ。そしてどういうわけだか彼の席はキッズコーナーの真ん中にある。

 まだ学校にも通わない小さな子供がワーだのキャーだのと叫びながら走り回る中で、まるで何も聞こえないかのごとく彼は無表情のまま座っている。彼は自分から子供に話しかけることはしない。目で追いかけることもしない。いつもその光景を見かけるたび、私は他人事ながら心配していた。彼は内心子供たちにいらついているのではないか。いつか子供たちを怒鳴りつけるのではないだろうかと。

 その日、一人の女の子が彼に近づいた。手には一冊の絵本を持っている。よちよち歩く姿からするとまだ言葉も満足に喋れないだろう。彼の机にたどり着くや否や女の子は満面の笑みで持っていた絵本を持ち上げて彼に見せた。「ほら!」とか「見て!」と言わんばかりである。私は遠目に事の成り行きを見守った。
 彼はコンピューターと対峙していた顔をゆっくり女の子の方へ向けた。怒鳴るのだろうか。私がそう心配したのも束の間、彼はやがて頷いて言った。
「イェー」
 それはこれまで私が聞いたどの「イェー」よりも滋味深い響きだった。初めて見る彼の柔和な顔を見て、今まで私が彼に対して思っていたことは偏見に満ちた杞憂であったと気付いた。
 女の子は満足気に母の元へと戻っていった。

 それから数日後、再び図書館に行くと身体障害者のグループが近くの施設から訪れていた。その内の一人の女性が紙に何かを書きながら奇声を上げている。館内中に響き渡る声だが、他の来館者や職員は聞こえない振りをして誰も彼女に寄り付こうとはしない。施設からの引率者さえも彼女を放っている中、ただ一人立ち上がった者がいた。ガードマンの彼である。
 キッズコーナーのいつもの席から彼女の席へとゆっくりやって来ると、彼女の顔を覗き込むようにして彼は言った。
「どうした?」
 そうして彼の手の平が彼女の背中をぽんぽんとたたくと、落ち着きの無かった彼女に笑みが戻った。注意するでも叱るでもない彼のその一言で、彼女の奇声は止んだのだ。

 今日も彼は紺色の制服に身を包み、コンピューターを前に無表情で座っているのだろう。そして時々館内を歩き、空気のような存在感で図書館を守っているのだろう。媚を売らず愛嬌も振りまかず、キッズコーナーの真ん中で、たくさんの子供たちに囲まれながら。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年12月26日号(vol.180)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-12-26 21:47 | 無名の人々
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