vol.145/Je suis venu te dire que je m’en vais <みぞけん/イラスト・ポスティックス>

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別れを言いに来ました
 フランスの音楽について興味があったので日本にいた頃聞いていた。そのなかでもひときわ気になったミュージシャンがいわずと知れたセルジュ・ゲンズブールである。なんか歌っているのか、つぶやいているのかわからない微妙さと、フランス語の歌詞が新鮮に感じたのだ。なんとなく日本にいるときは、フランスという国はロリータの国という印象を勝手に思っていた。フランスギャルやブリジットバルドーなのど影響だろう。だがそのほとんどの曲をゲンズブールが作っていたことを知るのはかなり後になってからであった。フランスに住み始め、フランス人はゲンズブールとか聴いているのだろうなーと思っていたが、そんなことはなかった。メジャーな彼だがやっていることは、テレビで500ユーロ札とか焼いてしまうとか、スカトロの小説とか書いているので、アウトローなイメージが強いことがわかった。死後数年経っていたこともあるだろうが、一般的にフランス人でゲンズブールの熱狂ファンという人はそんなにいないだろう。だがそれでも話題性があっただけに、ゲンズブールを知らない人は多くはない。このゲンズブール展が音楽美術館で開催されている。彼のキャリアは長く1950年代から始まる。この頃はフランスのシャンソンという感じが強い曲を作っていた。この頃から既に有名だが、本領を発揮、海外でも有名になるのは1960年代のアイドルの曲を書いていた頃だろう。フランスギャル、ブリジットバルドー、ジェーンバーキンの曲は売れていた。ここで忘れてならないのは、ゲンズブールはロリータを育てるのがうまい???ついでに彼女にしてしまうところだろう。その後のジェーンバーキンとの結婚や、仕事は切っても切れないものになっていく。1970年代にとった映画「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」はインパクトを与えた作品だ。その後、フランスの国家をレゲイにするとか、ラップを始めるとか、なにかと派手にやっていた。実の娘との近親相姦を映画にした、「シャルロット・フォーエバー」は愛娘シャルロットにとって、亡き父を思い出させてくれる映画だろう。実際、ゲンズブールの作品や遺品は娘のシャルロット所蔵が多い。ゲンズブールが亡き今でも、彼の作ったメロディーは至る所で耳にする。ゲンズブールフォーエバーである。そして休刊になるトコトコもフォーエバー!8年間このコラムを読んでいただいてありがとうございました。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年12月26日号(vol.180)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-12-26 21:53 | ヴェルサイユの鯖
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