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vol.178/時代<黒須田 流>

「景気が悪い」「また株が下がった」「このままじゃ潰れちゃうよ」……近頃はどこに行ってもそんなグチや泣き言ばかり聞かされる。たしかに、世の中不景気である。それも半端な景気後退ではなく100年に一度あるかないか、と言われるくらいの大恐慌である。ハレー彗星や何とか流星群のような自然現象ならば少しはワクワクした気分になるけれど、今回のようなケースはたとえ歴史上希有な事態であっても遭遇したくなかった、と、感じているのは私だけではないだろう。景気なんてオレには関係ねえよ、と嘯いていられるのはまだ「社会」という土俵にすら上がっていない子供だから吐ける台詞なのだろう。かといって、深刻ぶって暗い顔をしているオヤジ連中に同情する気にもなれない。そんな時代に当たってしまった事をいくら後悔しても何も始まらない。 
 戦争などもそうだが、こうした状況になると所詮は「社会」という枠組みの中でしか生きられないことを痛感する。自分が何か悪い事をしたわけでもないのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ、と、時代や社会に対して憤りを感じ、文句や不満を並べたところで個人の意思や感情は大きな流れにのみ込まれて終いである。私のように地道に誠実に生きている者も例外ではない。人里離れた山奥やジャングルで仙人か原始人のような生活でもしない限り、周りの影響を全く受けずに暮らしてゆくことは出来ないのである。
 さて、何が悪い、誰の所為だ、と、嘆いてみたところで景気が回復するわけじゃないし、困ったからといって突然ヒーローが現れて金を貸してくれるわけでもない。ここまでくると、いっそ開き直って笑うしかないだろうという気にもなる。どのみち、日々の生活は続くわけだし、今日も明日も生きていくしかないのだから。たとえ金を失い、職も無くし、会いたい人と会えなくなろうとも、戦争のように命まで取られない分まだマシである。仮に金欠貧困で独り惨めに野垂れ死んだとしも、それだけのことである。生命を軽んじるつもりはないけれど、どうせいつかは死ぬ身だし、自分の意のままに生きられない世の中なら、せめて自分の命の軽重ぐらい自分自身で決めたい。
 こんなご時勢になるといっそ死んだ方が楽だと考える連中も出てくる。「自殺」という選択肢を選ぶのは個人の自由だろうし、止めはしないが、硫化水素のように他の人にも迷惑が及ぶ可能性がある方法は避けてもらいたいものだ。死ぬならどうか勝手にやってくれ。私には愛する妻も守るべき家族もいないお気楽な身なので、いつ死んでも構わないのだけれど、資本主義とか貨幣経済とか株式市場とか……、誰が決めたかわからないルールや制度のために自分の命を絶つなんてまっぴら御免ではある。 
 それにしても、日頃「オレは幕末の世に生まれたかった」などと熱く語っている威勢のいい連中はどこに行ってしまったのだろう。「歴史」という結果がわかっている過去なら、竜馬や高杉、松陰や西郷……といった幕末の志士に自分を置き換えて好きなことが言える。幕府と景気という違いこそあれ、捉え方によっては今は混沌とした動乱の時代とも言える。しかも、幕末に比べたら圧倒的に命のやり取りがない分、思った通りに出来るではないか。結局は酔った酒の席での与太話で終わりかよ。また、普段「愛はお金では買えない」とか「家族の幸せは何物に代えが難い」とか、さんざんキレイゴトを並べている連中はどうしたのだろう。こんな時こそ大好きな「永久の愛」や「家族の絆」とやらが役に立つのではないのか。得意のお題目は景気云々に左右される程、脆弱なモノなのか、と首を傾げたくなる。不況如きで不仲になる夫婦の話を聞かされると、自分がモテずに独り身でいて本当に良かったと思う。明日も笑って生きてやる。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年12月26日号(vol.180)掲載
by tocotoco_ny | 2008-12-26 21:55 | アンダードッグの徒
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