カテゴリ:無名の人々( 31 )

vol.31/無名の人々<aloe352>

■今日も彼は
 図書館に行くと彼はいつもの席にいた。彼とはこの図書館のガードマンである。紺色の制服に鍛え上げた身体を包み館内に常駐しているのである。多くのガードマンがそうであるように、彼の見た目は恐い。とてもじゃないがこちらから何か話しかけようとは思えない。ゆっくりとした動作の中視線だけをきょろきょろと動かしている。悪者を見つけた暁には本領を発揮するぜ、そんな静かな凄みが感じられるのだ。
 どういうわけか彼は他の職員と同様に専用のデスクとコンピューターを持っている。たまに館内をパトロールする以外はその席に座ってコンピューターをいじっているのだ。そしてどういうわけだか彼の席はキッズコーナーの真ん中にある。

 まだ学校にも通わない小さな子供がワーだのキャーだのと叫びながら走り回る中で、まるで何も聞こえないかのごとく彼は無表情のまま座っている。彼は自分から子供に話しかけることはしない。目で追いかけることもしない。いつもその光景を見かけるたび、私は他人事ながら心配していた。彼は内心子供たちにいらついているのではないか。いつか子供たちを怒鳴りつけるのではないだろうかと。

 その日、一人の女の子が彼に近づいた。手には一冊の絵本を持っている。よちよち歩く姿からするとまだ言葉も満足に喋れないだろう。彼の机にたどり着くや否や女の子は満面の笑みで持っていた絵本を持ち上げて彼に見せた。「ほら!」とか「見て!」と言わんばかりである。私は遠目に事の成り行きを見守った。
 彼はコンピューターと対峙していた顔をゆっくり女の子の方へ向けた。怒鳴るのだろうか。私がそう心配したのも束の間、彼はやがて頷いて言った。
「イェー」
 それはこれまで私が聞いたどの「イェー」よりも滋味深い響きだった。初めて見る彼の柔和な顔を見て、今まで私が彼に対して思っていたことは偏見に満ちた杞憂であったと気付いた。
 女の子は満足気に母の元へと戻っていった。

 それから数日後、再び図書館に行くと身体障害者のグループが近くの施設から訪れていた。その内の一人の女性が紙に何かを書きながら奇声を上げている。館内中に響き渡る声だが、他の来館者や職員は聞こえない振りをして誰も彼女に寄り付こうとはしない。施設からの引率者さえも彼女を放っている中、ただ一人立ち上がった者がいた。ガードマンの彼である。
 キッズコーナーのいつもの席から彼女の席へとゆっくりやって来ると、彼女の顔を覗き込むようにして彼は言った。
「どうした?」
 そうして彼の手の平が彼女の背中をぽんぽんとたたくと、落ち着きの無かった彼女に笑みが戻った。注意するでも叱るでもない彼のその一言で、彼女の奇声は止んだのだ。

 今日も彼は紺色の制服に身を包み、コンピューターを前に無表情で座っているのだろう。そして時々館内を歩き、空気のような存在感で図書館を守っているのだろう。媚を売らず愛嬌も振りまかず、キッズコーナーの真ん中で、たくさんの子供たちに囲まれながら。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年12月26日号(vol.180)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-12-26 21:47 | 無名の人々

vol.30/無名の人々<aloe352>

■おススメしないけど
 なじみのレストランの本日のスペシャルメニューにサンマの文字を見た。思わず目を疑う。
 サンマと言えばここアメリカでは肩身を狭くしている青魚の類いである。魚に淡白な味を求めるこちらの人にとって、青魚は魚臭くて耐えられないのだろう。焼いたサバや炙ったイワシを美味そうに頬張る私を、顔をしかめながら見つめるこちらの人々を何人も目撃して来た。
 その青魚の代表格サンマが、日本食レストランでもないこの店で扱われるとは珍しい。しかし、その時の旬の食材を仕入れて毎日のメニューをこしらえるこの店で、初秋の今、サンマに目が向けられたのは当然と言えば当然かもしれない。
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 嬉しさではやる心を落ち着かせメニューを更に読み込む。何やら柑橘果汁でサンマをしめているらしい。しめサバならぬしめサンマというわけか。焼きサンマでないのが残念だがしめた青魚も大好きだ。よほど新鮮なサンマが入荷したのだろう。そしてサンマの上には水菜を乗せているという。サンマと水菜。日本を意識したメニュー作りに敬意を示すためにも注文決定である。

 だが、ここで一つ問題がある。このサンマのメニューは前菜なのだ。小皿と言わず、この際ぜひ大皿で食べてみたい。ニ皿注文しようか。しばらく悩んで私はなじみのウェイターに相談を持ちかける。すると彼は一瞬言葉に詰まって言った。
「オ、オッケー。そんなにサンマが好きなら厨房に行って聞いてみるよ。多分主菜サイズにできると思うけど。」
 そそくさと彼は厨房に引っ込んだ。かなり驚いている様子である。挙動不審めいている。普段あまり感情を表に出さずにサービスに徹する彼にしては珍しいことだ。明らかに彼はサンマが嫌いな様子である。
 数分後、彼がテーブルに戻って来た。
「主菜サイズでお出しできます。ただ、マリネなので冷たいですし、あくまで前菜としてお出しする事を意識して作られたメニューです。それでも良ければ主菜サイズでお作りしますけど。」

 本当に彼はサンマが嫌いらしい。いつもこちら側の言う事を否定しない人の良い彼が、「警告」の雰囲気をもって言って来た。言葉の端々に「ボクはおススメしないよ?」そんな意図が見え隠れするのだ。それでもいいのだ、私はサンマが好きなのだと、サンマを主菜サイズで注文した私からメニュー表を受け取りながら彼は言った。

「オ、オケー。ご注文うけたまわりました。ワァオ。」
 ワァオって。彼は本当にサンマが嫌いらしい。

 出てきたサンマは、小粒であったがいかにも新鮮で、それを丁寧に漬け込んであり新鮮な水菜とともに食すと美味しかった。一枚一枚丁寧に並べられたサンマの開きを口に運ぶ度、広がる青くささが懐かしく一気に平らげた。
 サンマのいなくなった私の大皿を見てウェイターはまた一瞬言葉に詰まって言った。
「ワ、ワァオ。グッジョブ。」
 シンジラレナイ。そんな表情を浮かべながら彼は皿を片付けた。
 彼は本当にサンマが嫌いらしい。そんな彼には、私もサンマをおススメしないから、ダイジョウブ。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年11月28日号(vol.179)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-11-24 23:49 | 無名の人々

vol.29/無名の人々<aloe352>

■習うより真似ろ
 縦長のその部屋の一番奥がインストラクターの定位置だ。そしてインストラクターと向かい合う形で向かって右が私の定位置である。このヨガのクラスをとり始めて半年。定位置でないと心地が悪い私はいつも早めに家を出て誰よりも早く教室に入る。
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 その日も定位置を陣取った私は、クラス開始までストレッチに励んでいた。その間に、一人また一人と人々が入って来ては思い思いの場所にヨガマットを広げるのだ。そのほとんどは見知った顔だが、いつも数人ほどは初めて見る顔もある。彼もそうだった。彼は部屋に入りしばらくきょろきょろと辺りを見渡していたが、やがて私の斜め後ろに陣取った。

 開始前の準備体操の様子から彼がヨガの初心者である事は何となく感じていた。やたら張り切っている姿が、リラックスや瞑想を主な目的とするこのクラスで既に浮いている感が漂い始めていたのである。

 インストラクターが現れクラスが始まった。まだストレッチと呼吸法を中心とした序盤なのに、彼の動きと呼吸が早速乱れている。そしてとにかく一生懸命である。斜め前の私にはポーズによっては彼の姿は見えないが、激しい息づかいが常に聞こえてくる。そして皆の動きから多少ずれながらも彼は必死についてきていた。

 おや、と思ったのは立ち上がって両腕を広げているポーズの時だ。前髪を払おうと私は右腕を顔に持ってきた。すると、視界の片隅にいる斜め後ろの彼も右腕を曲げた。皆が一斉に静止している中では小さな動きも目立つ。気のせいだろう。ただの偶然に違いない。クラスは次のポーズに移った。

 次におや、と思ったのは仰向けに寝転がって両膝を左に倒している時だ。背中を更にねじろうと、私は左腕を右腕に重ねた。インストラクターの指示ではない私の独自の動きだ。が。同じポーズをとっている人間が、もう一人いた。斜め後ろの彼だった。

 インストラクターの専門的な説明を聞くのを、どうやら彼は早々にあきらめているようだった。聞いてやるより真似してしまえ。自然と視界に入りやすい斜め前の私がターゲットだ。彼の考えはこんなところだろう。真似されている私は、その後のポーズを少々の緊張と誇りをもって努め上げた。

 一時間半のクラスが終わった。彼は汗をかいている。その表情は達成感に満ちている。マットを畳むとわざわざインストラクターの所まで出向いて「又来るよ」と話しかけている彼がいた。お世辞ではなく本心であろう。自信にあふれ達成感でいっぱいの彼は、それを誰かに伝えたくて仕方のない様子なのである。

 一方、真似された私はと言えば、彼とは違う意味で満足感に満ちていた。彼がヨガを気に入り又来ようと思ったきっかけは、私というお手本が良かったからであろう。私の斜め後ろにいつでも誰でも陣取れるように、インストラクターから向かって右の定位置ははずせない。そんな自己満足な義務感を抱きながら、今日も早めに家を出るのであった。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年11月14日号(vol.178)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-11-13 06:21 | 無名の人々

vol.28/無名の人々<aloe352>

■苦労かけます
 言わなければよかったと、すぐに後悔した。軽い気持ちで尋ねたことがこんな大事になるなんて。欲しいサイズが陳列棚になかったのだ。表に出ていないだけで在庫の中にはあるかもしれない。そう思ったのだ。      
 平日昼間の店内は人気店といえども客もまばらだ。いくつかあるレジはたまに来る客を対応するだけで、そこに立つ店員達は時間を持て余しているように見える。その内の一人であった彼に声をかけるのに躊躇する理由はなかった。
 私のサイズがあるか否か尋ねた私に、その店員はあそこにならあるかもしれないと、遥か頭上のディスプレイを指差した。陳列棚の最上階と天井の間の壁にいくつも商品がかけられている。客はもちろん店員さえも容易に手が届かない高さである。3メートルはあるだろうか。探してみるから待っていてと言われ、はいと答えた。

 倉庫の奥にしばらく消えていた彼は高枝切りばさみのような棒と共に現れた。そしてすぐに壁に掛けられた服をその棒でめくりはじめた。サイズは襟元に付けられたタグに書かれている。彼はタグを読み取るどころか服を一枚ずつ順番にめくることすらなかなか出来ないでいる。細く長い棒はコントロールが難しい。その棒の長さを精一杯利用してやっと届く高さなのだ。何度も同じ服のあたりを行ったり来たりしている。
 再び奥に消えた彼は今度は脚立も持って来た。最上段に昇り壁の服に少しは近づくと、端っこを握らざるを得なかった棒も手を真ん中にずらす事でコントロールし易くなった。それでも一カ所にたくさん掛けられた服は、判別し難い。服の色が黒というのも状況の悪化に追い打ちをかけている。

 5分が経過した。私はプレッシャーをかけまいと、遠巻きに他の買い物をしている振りをしていた。気付かれないように時々ちらりと彼の様子を確認する。腕や顔を下に降ろして休める動作が心なしか頻繁になっている。彼が脚立の上から口を開いた。
「XSなら見つかったんだけど。」
 私が欲しいのはMである。妥協するにはあまりにも小さ過ぎる。控えめにそう伝えた私の言葉を聞いて、彼は再び頭上に向かった。ああ、ごめん。こんな大仕事になろうと思っていなかったのは私だけではない、彼も同じであろう。
 更に5分が経過した。彼の腕がぷるぷると震えている。時々ため息も聞こえる。もういいです。そう言おうか。彼の元へ近づいたり店内をぐるぐるしながら私は何度も思った。しかし今言えば、これまでの10分間の彼の苦労は水の泡だ。もう少し、頑張ってくれ、店員さん。

 数分後、ついに努力は報われた。
「あったよ!」
 脚立から降りた彼の手にはMサイズの服が握られていた。安堵と疲労と喜びと、彼の表情にはいろんな思いが見てとれた。
 陳列棚に私のサイズが無かったのも、あんな不便な場所にストックしているのも私の責任では無いけれど、罪悪感を強く抱くのはなぜだろう。
 お礼を言う私に彼は気丈に笑顔で答える。
「どういたしまして。」
 しかしその声は、息も絶え絶えだった。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年10月31日号(vol.177)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-10-31 09:32 | 無名の人々

vol.27/無名の人々<aloe352>

■舌打ちされて
「ママー!ママー!」
 トイレの個室から突然子供の声がした。用を足し終え手を洗っていた私は、思わず声のする個室のドアを振り返った。平日のモールは閑散としていて週末の賑わいが嘘のようだ。そしてトイレも空いている。並ばずに入れるのは平日の昼間ならではだ。その時もトイレにいたのは、私と声の主の女の子二人だけだった。
 「ママー!居ないのー?」
 女の子は再度叫んだ。私は他の個室やトイレの入り口を一応確認してみたが、女の子の母親らしき人はおろか誰一人いないのだ。その声に緊迫さはないが、個室から出てくる様子もないことから、心配になった私はたまらず話しかけた。
「ママね、居ないよ。さっき出ていった人かな?小さな男の子と一緒だった?」
 私が個室から出た時、小さな男の子の手を引きトイレから出て行った女性がいたのだ。女の子の母親と弟かもしれない。記憶をたどって精一杯の答えをした私だったが、女の子をびっくりさせてしまったようだ。母親がドアの外で待っていると思い込んでいたのに、返って来た返事は初めて聞く声だったのだ。しかも、母親がそこにいないと告げられたのである。
 少しの沈黙があった。ドアの向こうで返事をしようか迷っている女の子の姿が目に浮かぶ。やがて、「そう。」と一言だけ彼女が答えた。すっかり威勢のなくなった恥ずかし気な小さな声だ。相変わらずドアは閉まったままである。中の様子は分からない。
 「ママ呼んで来ようか?呼んで来て欲しい?」
 何があったのかまずは聞こうかとも思ったが、ドアの向こうの他人に女の子は警戒し始めているかもしれない。ましてやトイレの個室というプライベートな空間で起こった事を私に説明してくれるはずがないだろう。単純に母親を呼んだ方が話は早いに違いないと思ったのである。
「うん。」案の定、女の子の返事は早かった。

 トイレを出てすぐのベンチに、例の女性はいた。彼女の近くでは、やはり例の男の子が走り回っている。トイレにいる女の子は娘かどうか女性に尋ねると、いぶかしげな表情を見せながらもそうだと答えた。続けて私が事情を説明するも、母親は腰を上げる様子がない。まるで関心がないかのようなのである。心配ではないのか。私は苛立ちを覚えた。が、あくまで丁寧に女性にトイレに戻るよう促した。
「チッ。」
その直後、彼女の口から何か聞こえたかと思ったら、何と女性は舌打ちをしたのである。そして以前として立ち上がる気配はない。私は怒りを感じ、女性が立ち上がるまで彼女の前で仁王立ちを続けた。
数十秒後、私の存在がうざったくなったのか、大きなため息と共に女性はようやく立ち上がった。そしトイレに向かって歩き出した。その後ろ姿を見つめながら私は達成感に浸る。
一方で何かが引っかかる。ありがとうの一言があってもよかったのではないか。私のとった行動の代償が「チッ」という舌打ちだけだったのだ。その事実に衝撃を覚え、思わず私の口から何かが漏れたのだった。
「チッ。」
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年10月17日号(vol.176)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:19 | 無名の人々

vol.26/無名の人々<aloe352>

■セニョリータ
 中南米出身のいわゆるラテン系の人々は陽気な人が多い。ラテン系の人に会ったことも見たこともなかった時代からそういう先入観を持っていたが、ニューヨークに来てそれが実感に変わった。彼らは本当に陽気である。おしゃべり好きである。初対面なのに「あれ、知り合いだったっけ」と思わせてしまう人なつこさもある。私が他人との間に高く造り上げている壁を、彼らはいとも簡単によじ登って乗り越えてしまうのだ。
 その日はオーダーしていた家具が届けられる日だった。待ちに待った到着に朝から落ち着きのなかった私は、いよいよ鳴ったドアベルに答えて玄関のドアを開けて待つ。廊下の向こうから家具が現れた。両脇を二人のラテン系のおじさんが抱えている。その内の一人がひょっこり頭をもたげてこちらを見ると、まずこう言ったのだ。
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「こんにちはセニョリータ。」
 せ、せにょりーた。いきなりのその新鮮な響きに私は面食らってしまった。それは冗談めいている訳ではなく、おじさんはきちんとした挨拶として至極普通に言って来たのである。おじさんと私の間にある初対面という壁を、おじさんはもう登り始めている。私の頭は家具どころじゃなくなった。
「セニョリータ」が頭をぐるぐる回る私をよそに、おじさんは職務の遂行に務める。が、そのいちいちに「セニョリータ」が付いてくるのである。
「これ、どこに置けばいい?セニョリータ。」
「配達料は○○だよ、セニョリータ。」
「配達料の事、聞いていないかい?セニョリータ。」
「じゃあ、ここに電話して確認してごらん、セニョリータ。」
 おじさんはとっくに壁を乗り越えて、もうこちら側に立っている。「セニョリータ」をこんなに連呼する人を初めて見た私は、当然「セニョリータ」と呼ばれ慣れているはずも無く、おじさんと自分の会話をコントのようだと他人事のように感じておかしかった。こみ上げる笑いをこらえつつしかるべき対応をとる。配達料を受け取りながらおじさんは少々の世間話も忘れない。
「何のテレビを見ているんだい?セニョリータ。」
 日本の番組です。「セニョリータ」と呼ばれることに少し慣れ始めた私が答える。
 うんうんと頷きながらおじさんは受け取ったお金を確認する。
「じゃあ確かに、セニョリータ。」
 はい、ありがとうございました。もうすっかり気分は「セニョリータ」の私が答える。
 任務を終え、もう一人の配達員と共におじさんは玄関へ向かう。
「バイバイ、セニョリータ。」
 はい、さようなら、よい一日を。「セニョリータ」は二人を見送った。その頃、おじさんと私の間にもう壁はなかった。おじさんがとっぱらっちゃったのである。
 初めて会う女性にセニョリータと話しかける勇気は私にはないけれど、我が部屋にしっくりと馴染んでいる家具をセニョリータと呼んで愛でている。おじさんが私に馴染む方が、数倍早かったけれど。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年9月26日号(vol.175)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-09-26 06:06 | 無名の人々

vol.25/無名の人々<aloe352>

■おこぼれ
 某高層ホテルのほぼ最上階に位置する小洒落たバーは、位置も高いが値段も高い。暗めの間接照明に低音量のジャズが流れる空間で、窓際に置かれたソファでは人々が思い思いにくつろいでいる。窓の外には暗闇に浮かび上がるビル群の照明。心無しか皆金持ちに見える。ピカピカに磨かれた重厚な木製のカウンターで所在無さげに座っている私は、2つの空席を置いて隣に座るおじ様が気になって仕方が無い。いや、気になるのはおじ様ではなくおじ様の注文したフルーツ盛り合わせだ。おじ様は自分で注文しておきながらのけぞって言ったのだ。「でかいなあ」と。
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 何かおつまみでもとメニューを開いてみたものの、その値の張り具合に早々にあきらめてしまっていた私は、おじ様とフルーツ盛り合わせの行く末が気になってしようがない。私の手元にはグラスに半分のビールがある。まだ半分。おつまみがあったらもっと美味しく飲めるのに。もしかしたら・・と、意地汚くも期待していた胸の内が、カウンターを通じておじ様に伝わってしまったのだろうか。ほんの4、5切れをつまんだだけのおじ様が声をかけて来た。
「すみません。もしよかったらこれどうぞ。もう僕、お腹いっぱいなんで。」
 フルーツの盛り合わせは、数切れ失った今も充分盛り合わせと呼べる原型を留めていた。キターッ!嬉しさを隠しつつ初めは断った。やはりまずはそうするべきだろうと思ったのである。案の定、無駄になるよりいいからとおじ様は更に勧めてきた。仕方ない、おじ様の好意に甘えることにしよう。表向きそう装ったものの、本音を言えば心の中のガッツポーズに従ったのである。

 フルーツを頬張りながら、おじ様が今度はチーズの盛り合わせを頼んでいるのを聞いた。お腹いっぱいのはずのおじ様は、チーズは別腹なのだろうか。出て来たチーズの盛り合わせは、やはりというか当然というか5人分はありそうだった。おじ様はその大きさに驚き、「でかいなあ」とつぶやいた後、数切れつまんだ。先ほどと同じ流れである。ここまで来れば次はどうなるか。言わずもがな私に勧めて来るのである。お決まりのパターンだ。
 私は、まだまだ盛り合わさっているチーズを赤ワインと共に堪能した。もちろん一言目はお断りした。そして、おじ様が再度勧めて来たところで手を差し出したのである。これ以上また何かを頂くなんて滅相もない、でもそこまでおっしゃるなら。その時顔にはそう書いて謙虚さを滲ませたつもりであった。が、おじ様は全てお見通しであったかもしれない。部屋に戻ってそう思えてきたのである。
 遠慮する割にフルーツもチーズも手早く平らげたこと、おじ様がチーズの盛り合わせを注文したのを聞くや否や赤ワインを注文したこと。私のそれらの行動も然ることながら、何よりそのバーの雰囲気にまるで馴染んでいない私におじ様は気を遣ってくれたのではないか。
 私がバーを去る際におじ様が言った「お疲れさま」の一言が、妙に納得できるのであった。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年9月12日号(vol.174)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-09-09 10:13 | 無名の人々

vol.24/無名の人々<aloe352>

■ジュニアパイロット
「ここで何してんの?」
 そう聞いて来たのは、祖母らしき女性と一緒の男の子だった。小学校高学年くらいだろうか。
 「バスを待ってるの。」
 私がそう答えると、彼は「あぁ」と納得したように呟く。バスを待つ意外他に何のしようもない場所である。バス停のサインが立っているだけの道端に、彼とその祖母そして私がたまたま集っているのだ。
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 彼の屈託のない純真無垢な瞳が、再度私に向けられる。
 「ねえ、飛行機運転したことある?それか、乗ったことある?」
 う、運転?思わずハンドルを握る操作をして、私は彼に確認する。
 「そう、飛行機操縦したことあるか聞いてるの。」
 頭上では、高度を下げた飛行機が一直線に飛んでいる。近くの空港に降り立つのだ。彼の祖母は、私たちの会話を気にも留めない様子でバスが来る方向を見つめている。
 「操縦はしたことないけど、乗ったことなら何度もあるよ。」
 私の真上にさしかかった飛行機を見上げながら私は答える。長い会話になりそうな予感がしたが、この状況で彼を無視はできない。
 「それならさっ、ヒューストンかオースティンかダラスに行ったことある?」
 彼はだんだんと早口になっている。私が質問に答えると、それならここはあそこはと次々に全米中の都市の名前を挙げてくる。一通り都市が出尽くしたところで、今度は私が彼に尋ねる。
 「飛行機、好きなんだ?」
 はにかんでウンと頷く彼はかなり本気のようだ。聞けばパイロットになるために必要な学校や飛行時間まで把握している。バスはまだ来ない。そんな彼を少し刺激してみようと私は試みる。
 「私、日本出身だから、日本とアメリカの往復はよくしているよ。」
 「ほんとにっ!?」
 案の定、彼は目を二倍に見開いて食いついて来た。「航空会社はアメリカン?デルタ?」「十何時間かかるよね?」「西海岸まで到達するのに○時間かかるよね?」
 彼の様子がかわいいやらおかしいやらで、こみ上げる笑いをこらえながら彼の質問に答えていたが、彼の発したこの一言でついに大笑いしてしまった。
 「日本て今、朝の6時半だよ。わー、君早起きだね。」

その時、夕方の5時半。日本はまさに彼の言う時刻である。腹を抱えて笑う私を彼は不思議そうに見つめている。時差までインプットされている彼の頭の中に私は驚くしかなかった。

その後、日本行きの飛行機がどれくらいの速さで飛んでいるのか答えられなかった私のために彼による速度講義が行われ、どの航空会社の何が好きか二人して意見交換が交わされたところでバスが来た。
 バスの中では、彼は運転手の真横に立ってその運転術を真剣な眼差しで見つめていた。祖母はといえば、相変わらずそんな孫を放っておいて一人がけのシートにちゃっかり座っている。
 彼の夢への滑走路に、なんの障害物もありませんように。後ろの座席から彼の小さな背中を見つめながらそう願わざるを得なかった。そしていつか、君の操縦する飛行機で私を日本に連れて行って下さい、友達料金で。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
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2008年8月29日号(vol.173)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-08-28 05:57 | 無名の人々

vol.23/無名の人々<aloe352>

■幸せな夕食
 その夜、あまりお腹はすいていなかったが、付き合いで入ったレストランのその雰囲気とメニューに、なんだかお腹がすいた気がして来た。以前にも何度か来たことのある店である。良いサービスと他には無いメニューが、客の食欲を盛り上げる。
 いつもなら主菜一品か前菜2品かを頼む。そうすると私の胃袋にちょうど良い量なのだ。ところが今日は、どうしても食べたいメニューが前菜に一つ、主菜に一つある。ここのメニューは日替わりなのだ。いつもと同じというわけにはいかない。うーんうーんと悩んでウェイターに助け舟を求める。
「これとこれ、私、食べきると思います?」
 見知った顔である。向こうも私を見知った顔だと思っているだろう。いくら見知った者同士とはいえ、ウェイターは私の胃袋の空き具合など知る由もない。聞いてすぐ無理な質問をしてしまったと思った。そのウェイターは逆に聞いて来た。
「今、ものすごーく、お腹がすいてますか?」
 ものすごーくというのが非常に曖昧で人によって千差万別であることは、私も、たぶんウェイターも分かってはいる。それをあえて使って質問してくるのが彼の真面目さを際立たせている気がする。そう、彼はいつも一生懸命なのだ。そもそも私の質問が曖昧だったのだからしょうがない。
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 いや、ものすごーくというわけではない。そう答えた私に返したウェイターの助言は、交わした会話の曖昧さに反して的確なものだった。
「お出しするパンを食べなければ可能だと思います。」
 結局、前菜と主菜を一品ずつ注文した。これまでの経験から言うと私が食べきれる量ではない。食べきるためにウェイターの言う通りパンに手をつけないと決心したのだ。しかしそれらを待つ間、私は禁断のパンを一枚食べてしまった。決心はもろくも崩れ去った。ここはパンもおいしかったのだ。パンのなくなった私の小皿を見て、ウェイターはおやっという顔をしてすぐに微笑んだ。
 そして前菜が運ばれた。ぺろっと食べた。あっという間だった。すっきりした私の中皿を下げながら、ウェイターは頷きつつ微笑んだ。
 主菜がやってきた。ここに来くるまで私はあろうことか二枚目のパンも胃袋に納めていた。私の満腹中枢はすでに刺激されつつある。やっぱり無理だ。食べきれない。パンも食べてしまったのだ。食べきれるはずがない。そう思いながら食べていたら食べきった。我ながらびっくりだ。
「食べちゃいました。」
 様子を伺いにやって来たウェイターにそう告げると、彼はものすごくうれしそうな顔をして言った。
「素晴らしい。」
 まるで子供をほめる父親のようだった。父親にほめられてうれしかった子供の私は、その後デザートまで注文して平らげた。
 店を出る私たちを見送る彼は幸せそうだった。注文前の私の心配を結局杞憂に終わらせたのは、彼の手腕によるものだったかもしれない。帰り道、はち切れそうなお腹を抱えながら、私もまた幸せだった。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年8月15日号(vol.172)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-08-12 01:45 | 無名の人々

vol.22/無名の人々<aloe352>

■野次馬
 バンッと大きな音がした。ぼーっとしていた私はその余りの突然で大きな音に、全身をびくっと震わせた。バス停の目の前で起こった乗用車同士の接触事故である。休日の、なかなか来ないバスを待っていた多数の人々は、予期せず目撃者となった。私もその一人である。
 中央よりの車線で一方がもう一方に追突し、中央車線を越えて反対車線へ押しやっている。3車線ずつが対向する大きな幹線道路で、ぶつかった2台の車は交通渋滞を引き起こした。車から出て来た双方の当事者は明らかにイラついている。道の真ん中で怒鳴り合うばかりで解決に向けた話し合いが始まらない。当事者達の怒鳴り合う声や同乗していた若い女性達のキーキーとわめく声、更には彼らを避けて通る車のクラクションで辺りは一気に騒々しさを極めた。
 バスの待ち人達は始めこそただ傍観していたが、一向に改善しない状況にしびれを切らしたのか、警察を早く呼ぶべきだと言い始めた。一部始終を見てはいるが当事者でない人々の頭は冴えている。ついに一人のおばちゃんが道の真ん中へとずんずんと進み、当事者達の間に割り込み何やら話しを始めた。端からみるといかにもそれは説教を垂れている図に見える。そしてそれをまるで合図にしたかのように、他の人々もバス停からあーしろこーしろと叫び出した。
 当事者達は増々苛立っている。事故を起こしてしまった上に、ひどい交通渋滞を引き起こしているのだ。気持ちは分かるが警察が来るまでどちらの車も動かしてはならない。目撃者は多数いるのだ。公平な事故処理ができる。バス停では、人々が解説者気取りで口々にそう言っている。しかし、当事者達は車を近くの空き地へと移し、それから警察に電話したようだった。その空き地は、道路を挟んでバス停の反対側である。もう目撃者達の声は届かない。
「あーあ、動かしちゃったよ。知らないよー。」
バス停の傍観者たちはため息まじりに言った。現場まで赴いたおばちゃんも、首を左右に振りながらお手上げ状態で戻って来た。「私の言う事を聞いてくれないのよ」。顔にはそう書いてある。道路の向こう側では相変わらず当事者達がやり合っているようだが、もはやその声は聞こえるはずもない。あーすべきだった、こうすべきだったと、傍観者達は当事者達に成り代わって勝手に反省会を開いていたが、やがてやっと来たバスの中へと皆消えて行った。
 当事者達は、バス停で待つ人々の視線とおせっかいから早く逃れたかったのだろう。公平な事故処理よりも野次馬根性丸出しの目撃者達からひとまず距離を置くことを選んだのだ。今回は、放っておいて欲しい当事者と、あれこれとおせっかいを焼きたがる傍観者達の温度差が大き過ぎた。何より、親切心からやってあげているつもりの人々の傍若無人さが際立っていた。
 野次馬達の野次馬だった私は、そう解説する次第である。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年7月25日号(vol.171)掲載
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by tocotoco_ny | 2008-07-25 03:26 | 無名の人々