vol.28/無名の人々<aloe352>

■苦労かけます
 言わなければよかったと、すぐに後悔した。軽い気持ちで尋ねたことがこんな大事になるなんて。欲しいサイズが陳列棚になかったのだ。表に出ていないだけで在庫の中にはあるかもしれない。そう思ったのだ。      
 平日昼間の店内は人気店といえども客もまばらだ。いくつかあるレジはたまに来る客を対応するだけで、そこに立つ店員達は時間を持て余しているように見える。その内の一人であった彼に声をかけるのに躊躇する理由はなかった。
 私のサイズがあるか否か尋ねた私に、その店員はあそこにならあるかもしれないと、遥か頭上のディスプレイを指差した。陳列棚の最上階と天井の間の壁にいくつも商品がかけられている。客はもちろん店員さえも容易に手が届かない高さである。3メートルはあるだろうか。探してみるから待っていてと言われ、はいと答えた。

 倉庫の奥にしばらく消えていた彼は高枝切りばさみのような棒と共に現れた。そしてすぐに壁に掛けられた服をその棒でめくりはじめた。サイズは襟元に付けられたタグに書かれている。彼はタグを読み取るどころか服を一枚ずつ順番にめくることすらなかなか出来ないでいる。細く長い棒はコントロールが難しい。その棒の長さを精一杯利用してやっと届く高さなのだ。何度も同じ服のあたりを行ったり来たりしている。
 再び奥に消えた彼は今度は脚立も持って来た。最上段に昇り壁の服に少しは近づくと、端っこを握らざるを得なかった棒も手を真ん中にずらす事でコントロールし易くなった。それでも一カ所にたくさん掛けられた服は、判別し難い。服の色が黒というのも状況の悪化に追い打ちをかけている。

 5分が経過した。私はプレッシャーをかけまいと、遠巻きに他の買い物をしている振りをしていた。気付かれないように時々ちらりと彼の様子を確認する。腕や顔を下に降ろして休める動作が心なしか頻繁になっている。彼が脚立の上から口を開いた。
「XSなら見つかったんだけど。」
 私が欲しいのはMである。妥協するにはあまりにも小さ過ぎる。控えめにそう伝えた私の言葉を聞いて、彼は再び頭上に向かった。ああ、ごめん。こんな大仕事になろうと思っていなかったのは私だけではない、彼も同じであろう。
 更に5分が経過した。彼の腕がぷるぷると震えている。時々ため息も聞こえる。もういいです。そう言おうか。彼の元へ近づいたり店内をぐるぐるしながら私は何度も思った。しかし今言えば、これまでの10分間の彼の苦労は水の泡だ。もう少し、頑張ってくれ、店員さん。

 数分後、ついに努力は報われた。
「あったよ!」
 脚立から降りた彼の手にはMサイズの服が握られていた。安堵と疲労と喜びと、彼の表情にはいろんな思いが見てとれた。
 陳列棚に私のサイズが無かったのも、あんな不便な場所にストックしているのも私の責任では無いけれど、罪悪感を強く抱くのはなぜだろう。
 お礼を言う私に彼は気丈に笑顔で答える。
「どういたしまして。」
 しかしその声は、息も絶え絶えだった。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2008年10月31日号(vol.177)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-31 09:32 | 無名の人々

October, 17. 2008 vol.176

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vol.176/表紙「NEW MUSEUM」
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 08:17 | バックナンバー

vol.176/表紙「NEW MUSEUM」

HELL, YES!f0055491_9203836.jpg
■New Museum of Contemporary Art
 アート、アートと持てはやされた潮流も、やや勢いを失った感があるニューヨーク。ソーホー地区からチェルシー地区に移って早10数年が経ち、今では「ブロンクス辺りが最も熱い」と囁かれては……いる。
 そんな停滞感が漂う中「いやいや、やっぱりダウンタウンから離れられない」とダウンタウンに固執して制作を続けている作家たちが、バワリーストリート周辺に多く暮らしているという——。
 雑誌「The Bowery Artist Tribute」(写真左=3ドル)を発行して、これらの作家たちを支えているのが、昨年12月1日にオープンした通称「NEW MUSEUM」こと「New Museum of Contemporary Art」である。今回はこの「ニュー・ミュージアム/新しい美術館」について触れてみたい。

■日々、様変わりするバワリーストリート周辺
 ヒップな人々が行き来するソーホー地区、そのすぐ東側に隣接して広がっているのが「バワリーストリート」である。言うなればここは「道具屋筋」で、台所関連の商品なら何でも揃う通りである。
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 大抵は業務用の大型調理器具類であるが、素人でも心よく売ってくれる店も多々在る。通り添いの歩道には今でも大型ショウケースや流し台、コンロ、冷蔵庫などが鈴なり状態で山積みされており、そのほとんどが新品では無く中古品であることからも、ニューヨークのレストラン業界の厳しさが見てとれる。
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 また、通りの南側は照明器具など「灯り」を扱う専門店が立ち並び、これらに共通しているのは、商店のメインの看板が、全て中国語であることだろう。
 チャイナタウンに隣接している同エリアは、全て華僑が仕切っている。「オープンしては潰れる」その繰り返しが際限なく続くニューヨークでは、これらの商いに不況はナイ。
 さて、そんな中国色が強いバワリーストリートに、2、3年前から異変が起こっている。まずはイースト・ハウストンストリート添いにオープンした「ホールフーズ」(Whole Foods Market)バワリー店(同右/上地図参照)の出現だろう。
 目と鼻の先に、やれ「メタミドボス」「メラニン」「ジクロルボス」と、農薬&殺虫剤疑惑の根源である「チャイナタウン」を控えながら、その対極の「自然&オーガニック」を全面的に圧し出したホールフーズ。
 この二極分化が、稀にうまく共存しているのが、ここバワリーストリートである。

■意外と知られていない日本人建築家ユニットが手掛けた美術館
「ニュー・ミュージアム」。その名の通り現代(近代)美術を専門としているミュージアムである。
 同館は1977年、ホイットニー美術館の絵画と彫刻のキュレーター、マーシャ・タッカー(Marcia Tucker)によって創設され、トライベッカにあるファインアーツビル(New York's Fine Arts Building/105 Hudson St)で開館された。
 同館のコンセプトは「新しいアート、新しいアイディア」で、比較的無名の作家作品や、実験的かつ革新的な作品の展示を行っている。
 1980年代にキース・へリングやリチャード・ビル・ジェンセン・プリンス、ジェフ・クーンズやエードリアン・パイパーを相次いで世に送り出したことも有名であるが、10代の青少年のための教育プログラム「高校アートプログラム」(HSAP)「可視的知識プログラム」(VKP)などをいち早く手掛けたことでも知られている。移転後の現在も同様の数々の教育プログラムは続けられ、キース・ヘリング財団やロックフェラー財団、ブルームバーグなどがスポンサーとして名を連ねている。
 この金融、ビジネスの情報プロバイダ「Bloomberg」の創設者は、言わずと知れた市長のマイケル・ブルームバーグ氏だが、市長は再選を果たした2005年、この新しいニュー・ミュージアムに多額の寄付を行っている。
f0055491_925012.jpg 2002年12月、6万平方フィートからなる壮大な元駐車場跡地で着工したニュー・ミュージアムは、創設者のマーシャ・タッカー(享年66歳)の死を開館を待たずして2006年に迎えている。そして、この完成したニュー・ミュージアムが、日本人建築家の「妹島和世&西沢立衛」(SANAA=Sejima And Nishizawa And Associates)のユニットが、コンペに勝ち残って手掛けた建築物ということは、意外と知られていない。
f0055491_7594633.jpg 総工費は5000万ドル(50ミリオン)。外観上、チグハグに6個の白いブロックを淡々と積み上げた感じのシンプルな同建築物は、正面から見て、全てが中心軸からズレて設置されているように見えるよう設計されている(同左)。
 そして、正面の虹色のロゴ「HELL, YES!」(同右)は、スイス人作家のウーゴ・ランディノーン(Ugo Rondinone)の作品だ。彼は楽観主義の哲学者と言われ、日常生活の最も平凡な要素で見つけられた感情的かつ精神の深さを探るアーティストである。社会的な概念を壊す意味を含めて、このデザイン性やカラー感などはさておき、HELL, YES!というインパクトのあるコピーはイイ感じである。
f0055491_9273099.jpg さて、館内だが、中も6ブロック(7階)で構成され、ビルは小ぶりながらもギャラリースペースは広く、見応えあるように工夫されている。また建物全体はメッシュ状のアルミニウムで覆われており、一見、薄暗く閉塞感を憶えるが、保護的な鎧兜(よろいかぶと)は装飾用のスクリーンとして充分機能している(同左)。

 まず1階は「ミュージアムストア」とカフェ「NEW FOODS」、子供用の遊び空間「プレイスペース」がある。この「NEW FOODS」はカッティンク・エッジなイベント会社「Creative Edge Parties」がプロデュースする斬新な若手シェフたちによるメニューがウリである。1階の同カフェでは3種類ある12ドルのプレートランチが好評だ。f0055491_929023.jpg
 2〜4階は「ギャラリー」空間で、微かな自然光を取り入れ、作品にやさしい演出だ。また必見はエレベーター裏側にある細長くて狭い階段(長さ50フィート、幅4フィート)で、途中の踊り場には、夜になると同館北側に位置する隣のブラウンストーン・ビルの白い壁面に向けて映すビデオ・インスタレーションが施されており、なかなかイイ演出ぶりである。
 現在、同フロアではエリザベス・ペイトン(Elizabeth Peyton)のライブ・フォーエバー(同右)が来年1月11日まで展示されている。
 5階は「教育センター」で、数台のMacが備え付けられ自由に地元アーティストなどの検索が可能だ(同左:上)。また同フロアでは「ハブ(HUB)としての機能を持つ美術館」を提供し「Six Degrees」と謳ったイベントが催され、月変わりで多彩なセミナーが行われている(同下)。f0055491_823269.jpg
 そして7階は、土日のみ開放されているフロアで、同建築物自慢の「スカイルーム」(同右:上)がある。床から天井までガラスパネルが張り巡らされ、光が燦々と室内へ入り込む癒される空間だ。2つの大きな扉はロウアー・マンハッタンとイースト・リバーを見下ろすテラス(同中央)へと開き、眼下に広がるチャイナタウンの景色さえも、ここから観ると何だかオシャレな感じだ。
 ここから望む夜景は赤や黄、青色に輝く強い電飾がアジアン的でもあるが、一方、目を移せば摩天楼のビル群が放つライトと相まって、見事な「これぞ!マンハッタンの夜」を形成していることにも驚く。
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 このスカイルームは、200人収容(ディナーの場合は最大で120人分のテーブルセッティング)可能なイベント用レンタルスペースとして、1階のカフェ「NEW FOODS」と同様、Creative Edge Partiesが管理して貸し出している(同下)。f0055491_84881.jpg
 最後の地階は「シアター」(同左:上)とジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)の作品である「ドネーション・マップ」(同下)が描かれている。ここのシアターは7階のスカイルームと同じくレンタルスペースとして開放されており、コンサート、ライブのほか講演会、映画の上映などに活用されている。

■40歳から65歳のアーティスト限定「The Ordway Prize」
 また同ミュージアムの特記すべき点は「The Ordway Prize」という2年に1度開催される賞で、優勝した作家(グループ)には賞金10万ドルが与えられる。この手合いは数々あるが、違いは応募者の年齢にある。受賞者資格は、15年以上作家生活を続けている「40歳から65歳のアーティスト」に限られ、その審査には代々の優勝者があたっている。同賞は自然主義者で芸術家を支援するキャサリン・オードウエイ(Katherine Ordway)の名前から付けられ、同ミュージアムと「Creative Link for the Arts」との共催で行われている。既に本年度(2008)の優勝者は、学芸員で作家のジェームス・エレイン(James Elaine)に贈られ、次回は2年後の2010年に発表される。

■オススメの「ミュージアム・グッズ」
 少々高めながら、数々のオリジナルグッズが揃うほか、他館では見られないインディペンデンス系のアート書も多いミュージアム・ストア。また、日本では株式会社インターオフィス(www.hhstyle.com)でしか手に入らないSANAA(妹島和世&西沢立衛)のプロダクツデザイン関連も数多く、興味のある人は要チェック。以下に紹介する商品はウエブサイトからでも購入可能(アドレスはインフォメーション参照)。商品左から順に、New Museum Yellow Tote(トートバッグ)25ドル、New Museum Market Bag(ショッピングバッグ)32ドル、New Museum Cap(キャップ)18ドル。
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■特集「NEW MUSEUM」のインフォメーション
◎New Museum of Contemporary Art
アドレス:235 Bowery, New York, NY 10002
Phone : 212-219-1222
オフィシャルサイト:www.newmuseum.org
開館時間:12:00〜18:00(水、土、日曜)/12:00〜22:00(木、金曜)/ 閉館:月、火曜
入館料:大人12ドル、高齢者:10ドル、学生:8ドル、18歳以下およびメンバー:無料
◎New Museum Store(ミュージアム・グッズ)のサイト:www.newmuseumstore.org
◎Creative Edge Parties(カフェ「NEW FOODS」を手掛けるイベント会社)のサイト:www.creativeedgeparties.com
◎The Bowery Artist Tribute(バワリー周辺に居住する作家の紹介)のサイト:mediaspace.newmuseum.org
◎Whole Foods Market(ホール・フーズ、バワリー店)のサイト:www.wholefoodsmarket.com

2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:55 | 2008年10月号

vol.37■tocoloco local news

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味の素「お弁当写真コンテスト」実施中!11月9日(日)まで
毎週3人に「象印ステンレス・ランチジャー」が当たる!

●中国の冷凍ギョーザ問題で益々不信感漂う「ギョーザ疑惑」。今やご本家のチャイニーズより点心(ギョーザやシューマイ)好きで、食卓に欠かせない品々が食べられないとなるとパニックに陥る——というニッポンの状況は手に取るように分かる。それほど「冷凍食品に頼り切ったカンタンな食生活」という幸せは、在米日本人には羨しい限りである(こちらでは「手作りギョーザ」が当たり前)。f0055491_734291.jpgさて、日本ではお弁当用として重宝がられている「味の素」の冷凍食品の数々を使ってオリジナル弁当の画像を送る「お弁当写真コンテスト」が、11月9日(日)まで実施されている。毎週「優秀賞」として3人(8週間/合計24人)が選ばれ、同コンテスト協賛社の象印から「ステンレス・ランチジャー」が贈られる。また、その選ばれた24人の中から、同サイトを訪れた人の投票によって、1人に「最優秀作品賞」として象印「IHプレミアム炊飯ジャー」(5.5カップ用)が贈られる。コンテストの応募方法は以下のオフィシャルサイトから直接、自分が応募したい画像をアップロードする方式で、1週間に付き1作品の応募が可能。万一外れても次週、再度トライできる。投稿する画像の拡張子は、jpgかgif(1ファイルに付き4MB以下)で、選ばれた3作品の画像は、週変わりで次々サイト上で紹介される。その紹介されている画像下に「投票」のボタンが設けられており、その投票数によって最優秀作品賞が決定する。さて、行楽弁当季節の秋!アナタも気楽に応募してみては?
 AJINOMOTO LUNCH BOX PHOTO CONTEST
 応募方法などの詳細サイト=www.lunchboxphotocontest.com
 冷凍食品などアジアン用オフィシャルHP=www.ajifrozenusa.com
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:35 | tocoloco

vol.174/棚<黒須田 流>

 海には「棚」と呼ばれるものがある。棚によって生息する魚の種類は異なる。つまり、棚とは魚の遊泳層のことで深海魚とトビウオが交わるようなことはまず有り得ない。陸地でも熱帯あるいは極寒など特定のエリアにしか生息しない生き物やカンガルーのように生態系的に一部の地域でしか生存しない種もいる。動物園など人為的なことでも起らない限り、像とペンギンが出会うことは自然界ではない。
 さて、ひと言に「人間」と言っても「人種」という言葉があるように、いろいろな種類・タイプに分類される。
 辞書によれば、人種――人類を骨格・皮膚・毛髪など形質的特徴によって分けた区分。一般的には皮膚の色により、コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)、ニグロイド(黒色人種)に大別されるが、この三大別に入らない集団も多く存在する。また、人をその社会的地位、生活習慣、職業や気質などによって分類していう言い方――と、ある。さらに加えれば、国籍、趣味・嗜好、価値観、生活環境などの違いによって、同じ人間でありながら、差異、差別が生じる。つまり、人間は一見ほとんど似たような姿形をしているけれど、実は人によってまるで違う生き物ではないのか、と思ったりもする。もちろんある程度は類型・同系統に分類することはできるけれど、人間ほど多種多様に富んだ生き物はいないだろう。
 日本では昭和以前ぐらいまでは身分や家柄といったものに対する意識が強かったが、今日の人間社会では、きっちりとした棲み分けがなされていないため、本来出会うことがないはず者同士が知り合ったり、関わったりする。それが面白くもあり、また時には悲劇を生んだりもする。
 ニューヨーク・マンハッタン。世界中の国の人々が集まり、ミリオネイラーからホームレスまでありとあらゆる身分、階級が混在し、一つの社会を形成している。この街ほどいかに人間が多種多様であるかを肌で感じられる場所は他にないだろう。小便を垂れ流しながら寝ているホームレスの横をスパーストレッチリムジンが走り去り、全身にタトゥーを入れ鼻ピアスをした女性とウォールストリートジャーナルを読んでいるビジネスマン風の男が落書きだらけの地下鉄のシートに隣同士並んで座っている。
 友人を頼って初めてニューヨークを訪れた時、私はこの街のそんな混沌とした猥雑さや危うさに魅了された。あれから20年ちかくの月日が経ち、街並も雰囲気も随分と様変わりした。そう感じるのは私自身が変わったのかもしれないが、いずれにせよ近頃この街にあまり魅力を感じなくなった。かといって、どこか行きたい場所や棲みたい地があるわけでもない。魚は水質が変われば死んでしまう。植物は地質が合わなければ上手く育たない。けれど、人間はどんな場所でも周りの環境に適応し生きてゆく能力を持ち合わせている。
 棲めば都——なるほど、先人達は上手い事を言ったものである。慣れと本人の気持ち次第で暮らしている場所や環境は肯定的に受け入れるのだろう。自分の人生を振り返ってみれば、私はこれまで神奈川で生まれ育ち、高校を卒業してからは東京で暮らし、その後はニューヨークと、たった三都市でしか生活したことがない。残された時間を考えるとそう彼方此方で暮らすことは出来ないだろう。このままこの街に居続けるか、地元に帰るのか、あるいはまったく違った場所になるのか、今はまだわからいないが、どこに棲んだところでグータラでいい加減な私の生活と性格は変わらないのだろう。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*お知らせ* 同コラムのバックナンバーは「アンダードッグの徒」のオフィシャルサイトの書庫に第1回目から保管してあります。お時間のある方は、そちらへもお立ち寄りください。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:31 | アンダードッグの徒

vol.163/今は本当に不況なのだろうか<友野コージ>

 今は本当に不況なのだろうかと考えたとき、明らかに不況なのだと思う。原油の高騰や、アメリカの金融危機に端を発した世界同時株安も深刻な状況のようである。そして、保険会社に勤めている人間に聞くと、保険の解約が相次いでいるらしい。クラブのホステスに聞けば、客が本当に少ないと言っている。銀行の貸し渋りや貸しはがしで、中小零細企業の倒産も増加しているらしい。農業や漁業も国からの援助がないと、どうにもやっていけないという声を聞く。企業の正規採用の数は格段に減り、派遣という形で正規社員よりかなり低い収入で働いている人も多いらしい。ネットカフェ難民と呼ばれ、寝泊まりする自分の住居もない人も少なくないらしい。小泉改革によって、地方の疲弊はかなりのものだと連日のようにマスコミは報道している。
 みんな事実なのだと思うし、僕はそれを他人事のように高みの見物をしているほど金持ちでもないし未来が明るいわけでもない。また僕は東京に住んでいるので、地方の事情というものをまのあたりにしているわけではない。それでも、僕は「今は本当に不況なのだろうか」と問うてみたりする。確かに、ある時期と比較すると、今の状況はかなり悪い状態で、収入も減っているから不況だと言われれば、不況なのだと思う。本当に資金繰りがどうにもならずに借金を抱え、家族を守るために自殺をして保険金を残そうとする人もいると思う。生と死の境をさまよっている人が多くいるのも事実だと思う。けれど同時に、「便乗不況嘆き者」も僕はかなりの人数いるような気がしてならない。「あの頃に比べると、随分収入も減り、前ほど贅沢ができなくなった」とか「生活は何とか出来ているけれど、いつ病気になるかもわからないのに、もしものときに備えるだけの貯金ができていない」とか「以前は年に1〜2度は家族旅行できていたのに、最近は旅行にも行けない」とか、その比較差をもって「不況だ」と言っている人が多いのではないかと思うのだ。
 僕の友人の何人かも「不況」だとか「俺は貧乏だから」などと口癖のように言って、一緒に食事をすると僕がごちそうするハメになることも多いのだが、実際は給料の中から家賃や光熱費や食費などを差し引き、プラス数万の積み立てをして、その上で残金の自分が自由にできるお金が少ないから「貧乏だ」と言っている奴もいる。そして、僕などは貯金などもしないで有り金を使ってしまうものだから、貯金をしている「自称貧乏人」に貯金もしていない僕がごちそうするといったことがしばしば起こる。もっと言えば、友人はほとんど毎日外食をしており、僕はひとりのときはスーパーに行って「ほうれん草」や「ブロッコリー」は高いから買えない、やはり「もやし」だななどと野菜を選びながら自炊をしているわけである。内心、「おいおい、一体どっちが貧乏なんだよ」と言いたくなるが、僕は自分のことを貧乏だとは言わない。なぜなら、もやしだって十分美味しいからである。タバコだって買っているし、缶コーヒーだって1日1本は買っている。これは、貧乏とは言えないなと思うのである。そして、今僕は作家という仕事をしているが、作家なんて何の保証もないから、コンビニや牛丼屋やファミレスなどに行くと、必ずアルバイトの時給金額を確認する。その金額は東京と地方ではだいぶ差があるのだと思うが、深夜のバイトだと、だいたい時給は1000円くらいはもらえる。1200円くらいのところもある。1000円だとして、深夜23時から朝7時まで働いたら1日8000円。週1回休んだとして、月の収入は20万である。日本の、東京の物価状況を踏まえ、40歳を超えた者の給料として20万は、決して高給取りではない。バイトだとボーナスもないから、家族旅行なんてできない。高級焼肉屋だって行けない。ブランド物の洋服や靴だって買えない。でも、それが貧乏とか不況とかいうものだろうかと言うと、僕にはそうは思えないのだ。吉野屋の牛丼や立ち食い蕎麦くらいは食べられるし、タバコ(アメリカの価格だとタバコはきつくなるかもしれないが)1日1箱くらいは買えるし、ビールは微妙でも発泡酒1本くらいは飲めたりする。これは、金持ちとは言わないが、さりとて貧乏でもない。
 別の角度から話をすれば、人間という生き物の精神構造はおかしなもので、自分の収入が20万で、周囲の人間も皆20万であれば納得をするのに、周囲に50万だの100万だの500万だのという収入の人間がいると、本当は周りの人間の収入がいくらであっても自分の収入が20万である事実は一緒なのに、「俺は貧乏だ」という意識が何倍も膨れあがるのだ。従って、自分の収入が100万であっても、周囲が1000万円の収入があれば「俺は貧乏だ」と必ず思うものなのだ。
……福田首相の辞任後の自民党総裁選、あるいは来るべき総選挙に向けての与野党の論戦などを聞いていると、9割以上が社会保障も含めた経済の話、つまり「金」の話である。金のことも大事である。しかし、命と精神というものが守られた上に、その次に大事なテーマが金の問題だと僕は思っている。それは、衣食足りて礼節を知るといった、金があるものの立場で主張しているのではない。命がなくなりゃ、金が残っても意味がないでしょ、といった類のことを言っているのだ。そう考えると、経済の話も結構であるが、「北朝鮮の拉致問題」や「無差別殺人を即刻阻止するための保安の問題」や「無差別殺人や親子間の殺人を長期的に阻止するための教育問題」や「精神の自由や、心のありかたの基本となる憲法問題」「食の安全や、食糧不足に備えての農業問題」などなど、経済以外のテーマでもっと語られなければならない問題がいくらでもあるのに、なぜ経済一色になってしまうのか、とても不思議に感じる。貧乏を嘆くよりも、自分の最愛の家族が別の国家に拉致される方が遙かに深刻であるし、不況を嘆くよりも、自分の最愛の恋人が無差別殺人で殺される方が遙かに絶望するし、野菜の高騰を嘆くよりも八百屋やスーパーに野菜が全くなくなってしまう方が遙かに問題だ。そんな主張をしてくれる人に、総理大臣をやってもらい。
(原文まま)
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*友野康治オフィシャルサイト「LOVE MYSELF」へもお立ち寄り下さい。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:30 | ニッポンからの手紙

vol.141/アメーリカ IN パリ<みぞけん/イラスト・ポスティックス>

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 パリもニューヨークと同じでたくさんの外国人が住んでいる。最も多いのがアフリカ人系、その次のアラブ人系、中国人系であろう。大半の人種が、各々の地域を作っている。いわゆるアフリカ人街、中華街といった感じだ。もちろん日本人街もちゃんと存在する。そこで、アメリカ人街といったらどこだろうと考えてみた。ダイナーやアメリカ食材店がある場所・・・はっきりとそのような地域はないと思うが、強いていえば7区の辺りだろうと思う。実際、たくさんのアメリカ人が住んでいる場所も7区だし、よくカフェとかでも英語が聞こえてくるからだ。一番大きな理由としては、アメリカンチャーチが7区にあることと、アメリカンユニバーシティーが存在する事だ。アメリカ人が出入りする理由になるであろう。近くのカフェレストランでも、ハンバーガーなどのアメリカを代表する食べ物がメニューにあるし、アメリカの食材を売っているお店もちゃんと存在する。だが悲しいかな、7区は高級な地区なのだ。住むには家賃が高すぎるし、なかなかいく機会がない場所だ。実際活気があるところも少ない。どちらかというとフランスの行政機関がたくさんある地域と思ってくれてよい。そういうところで、ハンバーガーを専門に出しているダイナーはない。実際ダイナースタイルをちゃんととっている場所は少ないが、でも、アメリカ人が比較的住んでいる地域だから一つくらいあってもいいものだが・・・。いわゆるダイナースタイルを保持している所は、ボクは今のところ一カ所しか知らない。パリ第7代学がちかくにあるジッシュー地域だ。その名もブレックファースト イン アメリカだ。ハンバーガー類、ベーグル類、クラブサンドイッチ類、ラップ類、など、ダイナー定番メニューが盛りだくさん。パリではほとんど見かけないドクターペッパーが飲めるのもいい。マレ地区にあるユダヤ人外にあるのは、ミッキーデリ。ここはアメリカ系ユダヤ人が経営。ここは、内装はダイナーっぽくないけど、味はおいしい。6区と16区にお店を展開しているコーヒーパリジャンは、パリのビストロとダイナーを足したような雰囲気。ここのハシュドポテトはとてもおいしい。いままで食べた中で一番高級なハンバーガー屋さんは6区にあるPDG。なんといっても20ユーロもするジャンボバーガーなど、一番安くても14ユーロくらいなのだから、ハンバーガー屋とは思えない。もちろん味はとってもおいしい。お肉の質が違うのであろう。たまに食べたくなるダイナーの味、アメリカ人にとって大事な場所だろう・・・
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:29 | ヴェルサイユの鯖

vol.141/間違った知識<Takaki Matsumura>

「なまはげ」
 先日、友人から「なまはげはとても礼儀正しい存在だ」という話を聞いた。あの大晦日に「泣ぐごはいねガー」などと言いながら、家にずかずか上がり込むイメージのあったなまはげが礼儀正しいとは、かなり意外だったし、まず、そんなことは信じられなかった。
 しかし、彼ら(彼らと呼ぶのが正しいのかどうかは分からないが)は、人に連れられやってきて、ノックをし、家に上がっても良いかどうか確認をしてから入るそうだ。そして、家の中のいろんなところをたたいて廻るのは、決して破壊行為ではなく、むしろその逆で災いが起こらないようにしているらしいのだ。
 これには正直驚いた。大晦日、もしくは、新年のニュースで見る光景では、決してそんなことは伝わってこない。思い切り曲がった知識が私の中に埋め込まれていたことにショックを受けた。しかも、東北地方出身でもなければ、行ったこともない私にとって、この友人の話しがなければ、墓までその間違った思いを持っていったことだろう。
 こういった断片的な情報によって、間違った知識を持ってしまったもの、それに、勘違いを含めると私はどれだけ、馬鹿なまま墓に入るのか分からない。またしても、自分の目で見る、または、断片的ではなく、話を聞くと言うことが大事なんだと思わされたことだった。f0055491_7271065.jpg
「バナナがない」
 今、八百屋や果物屋からバナナが消えているらしい。全然知らなかったのだが、結構前から朝バナナダイエットなどという新種のダイエット方が話題となり、午前中には売り切れるらしい。詳しくどのようなダイエットなのかは知らないが、なんでも、朝にバナナ1本とコップ一杯の水を取るらしい。そのとき、よく噛んでというのが重要なようだ。
 私は、このバナナが売れているというのを聞いて、農薬漬けのバナナの話しを思い出した。現状のバナナが統べてそうだとは言い切れないし、輸入品には、必ず農薬が入っている。ということは、自給率40パーセントのこの国で、薬を使わず体にいいことをしようとしても自給自足をする以外は、到底無理なのだということは、ずいぶん前から分かっていたことだ。この事実を知った上で、買っているとすれば、一過性のブームになるのはあまり良いともいえないし、商店をする人たちにとっては、あまり喜ばしいことでもないだろうが、まぁ、良いんじゃないと思う。
 しかし、分からないでやっているとすれば…。
 だいたいダイエットというものは、自分の健康を維持する為に適正なカロリーを接種し、バランスよい食事の中で動きも軽やかになるし、健康にもなる。というような状態でなければ意味がない。ダイエットをして不健康になりました、では、悲しいばかりである。
 もう一度書くが、最近のバナナがどういう状態なのかは分からない。しかし、中国のあの牛乳のようにならないように気をつけたいものだ。ブーム的に飛びついている人が多そうな感じが、懐疑的に思わせる。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:27 | Kamakiri no ashi

vol.83/帰って来たアメリカナイズ<むかでのすきっぷ>

巨食症になる(1)
 今回のテーマは、“巨食症”であって“拒食症”ではない事にご注意頂きたいのである。
 ご当地で、何でもひとまわり大きな皿でお料理を頂いていると、日頃の鍛錬よろしく、だんだんとお三度の食事量が多くなって来て、例えば渡米当時はとても一人では食べらなかった16オンスのステーキが、いつの間にか平気で食べられるようになって、それにも飽き足らずに、付け合せのポテトなんかもぜーんぶ食べられるようになってしまい、デザートにチーズケーキなんか注文した挙句、しまいには子供の食べ残しまで平らげてしまう事が出来るようになるのである。そんな事気にせずに、何年もそんな右肩上がりのインフレ食事量をこなしていると、あらあら不思議、いつの間にか履いているズボンが縮んで来る、という不思議な現象を体験出来るようになるし、友人からも「人間丸くなったね」などとお褒めの言葉も頂けるようになるのである。
 言うまでも無く、ご当地アメリカでは、そもそも一皿あたりの食べ物の量が多いのに加えて、料理自体のカロリーも高いものが多く、日本のように、小腹が空いた時に食べれる駅のかけそばやさんも見当たらない事から、一般的に肥満になり易い環境にあると言えるのである。もっとも、日本人の平均体型が、アングロサクソンを始めとする欧米の方達のサイズとは異なるので、彼等にとっては普通でも、我々にとっては“てんこ盛り”な量になってしまうという事も又、事実なのである。
 しかし、人間の環境に対する適応能力というのは計り知れず、たーくさんの料理をまーいにち食べ続けていると、いつの間にか胃も伸びて大きくなるようで、いつのまにか沢山食べないと空腹感すら拭えない体になってしまうのだから不思議である。

 このように、むかでのようないたいけな中年日本人を、いとも簡単におでぶにしてしまう食環境のご当地ではあるが、そもそもこちらの原住民達には太り過ぎの問題は無いのだろうか。「そこんとこ、どうなのよ?」という素朴な疑問が湧いて来るのは自然の摂理というものである。
 あぁ、やっぱり。むかでが思った通りである。普段町でお見かけする地元の皆さんを拝見して感じていた通りの調査結果が、ここにあるのである。
 皆さーん、それでは発表します。ご当地アメリカでは、国民の実に3分の1は“おでぶ”なのです。
 因みに肥満の人の多い州トップ3は、1位ルイジアナ州、2位ミシシッピ州、3位はウェスト・バージニア州らしいが、今や肥満の傾向は上記3州にとどまらず、米国全土の問題となっているというのである。
 もう少し詳細に説明すると、現在1億3000万人以上のアメリカ人が標準体重を超えており、その内6000万人が肥満の領域に、更にその内900万人が極度の肥満という現状にあるのである。そして、年間15万人以上のアメリカ人が肥満が原因で死亡しているという驚くべき事実も浮き彫りになって来るのである。病院に行って、死亡診断書の死因の欄に、「おでぶだったから」なんて書かれてしまった日には、ちょっと格好悪くてお墓の中でも居心地が悪いのに違い無いのである。又、ご当地では、最近生まれた子供達の2人に1人が将来いつか糖尿病に罹る、という不安な調査結果も出されているのである。ご当地の肥満問題は、将来に亘って深刻さを増して来るのであるから、笑えないのである。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:25 | ご無沙汰むかで

vol.62/警戒モード<秋野マジェンタ>

「初対面の女性に、『私、体育会系です』オーラ全開で来られると、少々戸惑う---」という話を友人A(女:38歳)がしていた。Aは、自分のことを「私、体育会系なもんで」と表現する女性に対して、警戒心モリモリなのだとか。理由は、「体育会系なもんで」という、やや自嘲じみた表現には、根底に「だから私って、からりとしていて、憎めないヤツなんですう」という、一種の媚びがあるように感じられるからだという。後ずさりでにじり寄られているような気がして、戸惑うらしい。「スポーツ(部活)を持ち出して来て、『自分は裏表のない人間です。もし、失言失態があっても、それは、体育会系の私のことですから、悪気があるわけではないのです。それを先に断っておきます』と言っているように聞こえる。だから(そう解釈すれば)、ちょっとずるいようにも感じる。」うーん。
 Aの話の途中で私は、自分にも、Aにとっての体育会系みたいな、警戒モードの基準があることに気がついた。わたしにとってのそれとは、「男っぽい性格」である。相手が、「私って性格が男っぽい」「サバサバしている」という文言で自己紹介すると、私の中でアラームが鳴り始める。体育会系組と同じく、自分には裏がないことをアピールする手口なのだろうが、わざわざ自分から、「サバサバ」を申告するくらいだから、実際は、余程「女特有の性悪さが備わった」「ネチネチ」なのではなかろうかと勘ぐってしまう。その可能性があるやもしれぬ!とアラームが作動するのである。
 「私って性格が男っぽいから、女よりも男の中に混じっているほうが楽だし、親友も男ばっかり。」と言う日本人女性は、かなりいる。でも、これを男バージョンにすると、かなり奇妙である。「オレって、性格が女っぽいから、男よりも女の中に混じっているほうが楽だし、親友も女ばっかり。」いい年こいた男が、こういう台詞を吐いた場合、はたして「ああ、きっと繊細で、そこらの男のように派閥に属するなどということはせず、決して恥じらいを忘れない、型にはまらない魅力にあふれた人物なのだな」と解釈してもらえるだろうか?多分、オカマと思われるのが関の山だろう。
 日本人女性以外が、こういう言葉で自分を表現するのを聞いたことがない。あっても、それは他者に女らしさが足りないのなんのと指摘されて、落ち込んだ時くらいである。あるいは、第二次性徴に心がついて行かずに、己の乳房を否定する少女。だから、大人の女が「私ってぜんぜん女っぽくなくってえ」と言うのを聞くと、「あちゃー、思春期で成長とまっちゃったかな?」と一瞬思ってしまう。その女性が、実際にガサツかどうかは、あまり関係がない。その発言が、大人の女に不似合いで、ちょっと気味悪いのである。
 前の話だが、映画「さくらん」のプレミア会見の席で、土屋アンナが、「私って性格が男っぽいから・・・」と発言していた。ちなみに、この「男っぽい」ツールを使用するのは、美人さんが大多数である。貞操を守るための本能的な行動なのかもしれぬ。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:24 | オンナの舞台裏

vol.54/THE untitled<腕前建設>

■ケータイ小説
 猫も杓子も「作家」を名乗りたがる——1億総作家の時代である。
 手軽にブログやネット上で日記を公表して、やれ忙しいだの、取材だ!撮影だ、と宣っているライター気取りの輩は、ごまんといる。よくもまあ、恥ずかし気もなく「作家」を名乗れるなあ、と感心するのだが、つい最近、作家大先生と言われる86歳なる御大の作品を、ネット上で、もちろん只で読んだ。それらは今流行の「ケータイ小説」なるものである。

「ケータイ小説」の始まりは、2000年に発表されたYoshiの「Deep Love」だという。そういや、こっちのフジテレビでもオンエアされていたドラマ「翼の折れた天使たち」に、Yoshiという名前があったなあ〜くらいの感覚である。
 Yoshiなる人物が誰であるかすら知らないが、ケータイ生活に不慣れな在米者にとっては、所詮その程度だ。しかし、携帯サイトにアクセスすれば、誰でも手軽に発表でき、出版社の目に留まれば次々と書籍化されて、今や100万部を突破するベストセラーも数あるらしい。
 いやはや自称「作家」だらけになっているのも、また真実であるようだ。加えて、生業(肩書き)のカテゴリー上「ケータイ小説家」があるということにも頷ける。

 先日、ネット上のニュースで「瀬戸内寂聴さんがケータイ小説」という見出しを目にした途端、ちょっと興味が湧いた。
 スターツ出版が運営するケータイ小説サイト「野いちご」で、正体を隠して密かにコギャルたちと交流を持っていらしたこと自体にも驚いた。
 寂聴さん自身「私もこっそりケータイ小説を書いていました。わくわくしました」とコメントしている。
 う〜ん、それって、ちょっとイイなっ。そう思って読み始めた。

 ユーザネーム「ぱーぷる」さん
 会員番号「73865」
 性別「女」
 誕生日「さつきのころ」
 自己紹介「最近ケータイ小説はじめました ドキドキッ ヾ(=^▽^=)ノ 感想まってます」
 書いた小説「あしたの虹」

 その正体が明かされるまで、誰が、この「ぱーぷるさん」が、86歳の老婆だと気付くだろう。
 文体に「マジ」「ダサ」「ヤバイ」などギャル語らしき言葉も目立つし、ご丁寧に絵文字まで使ってある。ましてや瀬戸内文学とまで称された、あの瀬戸内寂聴だと、誰が思うだろうか。
 私の世代では瀬戸内寂聴というより、まだ瀬戸内晴美の方が馴染みがあるし、まず「源氏物語」のイメージが思い浮かぶ。そう!これがヒントでもあったようだ。
 ユーザネームの「ぱーぷる」さんは紫式部であり、小説「あしたの虹」の主人公(ユーリ)が恋焦がれる相手の名前、ヒカルは、光源氏だったと……。

 この「あしたの虹」については、如何せん駄作だと、私は思う。
 陳腐な内容と展開、意外性のカケラもない。がしかし、若い娘たちにとっては感動作に値するのだろうとの察しもつく。ケータイ小説とは、こうなんだ、と知ることにも繋がった。
「ぱーぷるさん」が設置されている感想ノートには「とっても感動出来ました。泣いてしまいました (;-;) 素敵なお話で、なにか心にジーンときます」などの文字がいっぱい踊っている。
 ごく普通の86歳のおばあちゃんたちは、孫と、こういう会話を望んでいるのかも知れない。健康器具や健康食品、あるいはご馳走などを頂くより、余程嬉しいプレゼントに違いないだろう。
 短く平易な文体。カタカナが多く、しかもギャル語。
 修飾語をトコトン省き、情景描写も、寒いのか暑いのか程度で、あまり必要ない。要は等身大の会話とカギ括弧で始まるセリフが命だ。
「ケータイ小説を書く」という縛りは、想像するより、かなりキツそうである。表示できる文字数が限定されることもあろうし、漢字が読めない、日本語を知らない世代が読んでくれる対象者であるから、今まで慣れ親しんできた文体からは、かけ離れた表現法にも苦労するだろうと思う。
 寂聴さんは、これらケータイ小説が「何故読まれているのかが知りたい」という気持ちから、絵文字も使って挑んだという。
 読者層はティーンの女性がほとんどだ。書き手と読み手が、同年代ゆえに共感を呼ぶのだろうか——。もし娘がいたなら……と思ってみても仕様がない。また、年代を偽ってマネて書いたとしても、必ずどこかで無理が生じるだろう。
 どの小説も、作家志望でもない、ごく普通の若者が書いているらしい。もちろん私も作家を名乗る気なんてサラサラない。しかし、このちょっと不思議な「ケータイ小説」の世界は、これからの余生の愉しみの1つとして、覗いてみたい気がしている。

 ケータイ小説のメインとされる「恋愛小説」は、経験も極端に少ないことから最も苦手な分野である。が、ケータイ小説は、ワンパターンの筋書きだからこそ、逆にウケてる訳で、ヘタに小細工した意外性のある内容を、これら読者は求めてはいない。
 書き手も賛辞を欲しがってもいないし、単に、見知らぬ誰かに話を聞かせたいだけである。おこがましくも私が目指している大衆文学は、そうあるべきだと、そこから始まるんだと、私は思う。
 20数年、他人の文章を世に出すためだけに懸命に編集者としてやってきた。今更、気取って芥川賞でも直木賞でもない。イチから始める人生の再スタートに、この「ケータイ小説」は相応しい気がする。
 まずはケータイを購入して、絵文字も使える程度に学習し、漢字も慣習も一切除外して「書く事、書けることの楽しさ」を、もう一度味わってみよう——これが50歳、今の決意である。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:23 | THE untitled

vol.45/昼下がりの旦那さん<buku1905>

■素直になれなくて。
好きで中年になったわけではないですが、年を取るのは素晴らしいと言っておきたい。
体に脂肪が付きやすくなったりして、素晴らしい。
そういう生き物になったんだと思います。
芋虫が蝶々になるように、
夜が朝になるように、
僕も変化の時期になったと見るべきでしょう。
それで必ずしも、美しく変わるとは限らないと認識するべきでしょう。
なので職場の人に
「ぶくさん、お腹が出てますよ。」
なんて発言は、聞かなかったことにしようと思います。
生まれてから40年、腹筋なんてついたことないんですから、腹なんて出たい放題だってこと。
社会人として、そのくらいのことは予想して発言するべきってこと。(とんだ逆ギレってこと。)
腹が出てて、何が悪いと言いたい。(とんだ開き直りってこと。)

■カタカナ・ゴールデン。
子供のころから、人にマッサージするのが好きだったりしました。
今でも彼女にしたりするんですが、最近はちょっとした時間があると、娘にもしたりします。
血行を良くしてね。
筋肉ほぐしたりね。
根拠はひとつもないですが、娘が大人になってからも健康でいるようにね。
勿論根拠はないですが、娘が歳を取ったときも元気でいられるようにね。
そんなこと考えながらマッサージしてる僕は、結構病気が末期な気がします。
(親ばかという病気が)

■風のシルエット。
随分昔にも書いた気がしますが、我が家の冷蔵庫がまた凄いことになってりするわけです。
臭いというより、もう異臭と呼んでも良いと思う。
国内では、納豆に次ぐ発酵する食べ物を開発してるんだと思います。
きっと近い将来、大変健康になると思います。
特許なんか取っちゃって、金持ちになる予感です、僕。
それで洗濯したはずなのに、服がこんなに匂うのも、たぶん健康グッズかなにかを開発中なんだと思う。

■べりー、ふぇいます。
基本的に香水とかは付けない彼女から、昨日白檀の香りがしたわけです。
香りがしたことにも驚きましたが、あまり趣味嗜好が合わないのに、僕の好きな香りがしたことにも驚いたわけです。
驚いたので、こうして日記に記しておこうと思います。

■眠いんです。
というわけで、これから深浦加奈子さんの「お別れ会」に行ってきます。
深浦さんのお姉さんから
「もう少し元気になったら、またブク君にマネージャー頼もうかなって話をしてたんだよ。」
なんて連絡もらったりしたせいか、ちょっと感傷的な気分で向かいます。
長いようで短い付き合いだったなと。
結局、彼女と娘を会わせることも出来なかったなと。
昔、まだ彼女と知り合いになるもっと前、
深浦さんはまだあまり売れてなくて、
大石と志保を誘って、舞台を観に行ったことを思い出したり。
そう思うと、知り合って随分経つんだなと。
20年か。
というわけで、深浦加奈子さんの「お別れ会」に行ってきます。
*原文は以下のアドレスへ*
plaza.rakuten.co.jp/dadamore/
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by tocotoco_ny | 2008-10-18 07:21 | 2万円でどう?