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vol.122/最悪—8<黒須田 流>

 「信治さーん。ちょっと待ってよー」
 後ろの方で、ケンの声がする。
 信治は、振り返りもせず、スタスタと歩いている。走る足音で徐々にケンが近づいて来るのが、わかった。
 「どうして、『ちょっと待って』って、言ってるのに、そうやって、サッサと一人で行くかなあ」
 信治の横に追い付いたケンは、口を尖らせながら言った。
 信治は、ちらっと横目でケンを見たが、フンといった感じで、また前を向いて歩いた。
 「あれっ、無視?ホント、信治さんって、冷たいよなあ」
 ケンは、トボケた声で喋った。
 「………」信治は、黙って歩いる。
 「いや、信治さんは、やさしいですよ。でも、俺には冷たいんだよな」
 ケンは、信治の機嫌をとりながら、少し拗ねた口調になり、続けて、
 「うん。たしかに、冷たい。どうして、そう、俺には冷たくできるかなあ」と、ケンは、独り言のようにブツブツ不満気に喋った。
 信治は、ケンの言葉を聞き流し、ずっと黙って歩いていたが、いい加減、鬱陶しく感じ、立ち止まって、言った。
 「なんなんだ、オマエは。ああ、そうだよ、オレは、冷たい人間なんだよ。だいたい、目的地は同じなんだから、なにも、わざわざ一緒に歩くこたぁ、ねえだろう。ガキじゃあるまいし」と、一気に捲し立てた。
 ケンは、信治の言ったことなど、聞こえていない様子で、まるで、放っておかれた仔犬が、やっと、かまってもらえたかのように笑った。
 完璧な笑顔だった。
 もしも、オンナだったら、いや、女性だけでなく、オトコが好きな男性でも、思わず、抱きつきたくなるような笑顔だった。
 「ダメだ。コイツは………」
 信治は、心のなかで、そうつぶやき、あきらめた顔で、また、黙って歩き出した。

 信治は、ケンのことを嫌っているわけではない。それどころか、むしろ、なかなか面白いヤツだ、と好意的に受けとめている。
 けれど、ケンと並んで歩く気にはなれない。いや、歩くどころか、出来ることなら、コイツとは同じ空間には居たくないと、感じているので、どうしても態度が突慳貪になる。
 ケンが男前だから——。
 それも、並の男前ではないからである。

 道ですれ違う、三人に一人は、必ず、ケンの方を振り返る。白人も黒人も、男も女も、婆さんも子供も。
 何か珍しい生き物にでも遭遇したかのように、口をぽかんと開けて見とれる者。「いまのカレ、きっとモデルかアクターよ」と囁き合う者。知り合いでもないのに「ハーイ」と、気やすく声をかける者……リアクションは区々だが、とにかく、ケンの美貌はひとの目を惹く。

 ケン——。
 本名は、宮代拳。
 黒人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。
 名前は、母親が付けた。
 軍人だった父親が、昔、ボクシングをやっていたことから「拳」という字を選んだ。
 それと、「ケン」と命名した、もう一つの理由は、息子が将来、父親の母国であるアメリカに住むようになった時、「ケン」なら、名前の発音で苦労することはないだろう、と考えたからである。

 ケンには、黒人の血が半分混ざっているのだが、鼻がつぶれているとか、唇が厚いわけではない。父親と母親の優性遺伝子だけを受け継いだような実に端正な顔立ちをしている。
 身長は180センチぐらいなので、特別、デカイ、といった感じではないが、決して小さくはない。また、ボディビルダ−のように鍛えた身体ではないが、程よくついた、しなやかな筋肉が、浅黒い肌に包まれている。

 信治は、ケンを見る度に、「人間は決して平等ではない」と、いうことをしみじみ感じる。
 信治自身、自分の容姿について、それほど悪くはないと思っている。いや、多少の自惚れがあるにせよ、そこそこイケテル方じゃないか、ぐらいには考えている。
 しかし、草野球でどんなに上手いと誉められても、メジャーのプレーと比べれば、力の差は歴然とする。
 山梨県人と神奈川県人とのハーフである信治では、どう足掻いても勝ち目はないのである。というより、レベルの差があり過ぎて、端から、張り合おうとする気にもならない。
 
 それでも、やはり、信治も人間であり、男である以上、面白くない、と感じることもある。
 しかも、自分がそんなに不細工だとは思っていないことが、余計、信治の自尊心を傷つけるのだった。
 だから、信治は、ケンと一緒に外出することを嫌っているのである。

 ところが、信治の意と反して、ケンの方は、信治と居るのが嬉しくて仕方がない。なにかにつけ、信治と行動を共にしたがる。
 が、別に、ケンが「ゲイ」というわけではない。ただ、単に、信治と遊ぶのが、楽しいのである。
 
 ニューヨークのゲイ人口は多い。
 もしも、ゲイでなかったならば、女性に不自由することはなかったであろうと思われる超美形から、岩石みたいな顔をしたギャグ系のゲイまで、そのバリエーションは幅広い。
 ゲイに限らず、ホモセクシャル、オカマ、ニューハーフ、ドラッグ・クィーン、レズビアン、バイ・セクシャル……呼び方も、性的嗜好も、様々な人間が、この街に集まって来る。
 それは、たとえどんなに奇異・異端とされるものであっても、それを受け入れてしまう不思議なパワーが、「ニューヨーク」という街にあるからだろう。
 ある映画に、——どんなに珍しい出来事も、三日経てば、ニューヨークでは日常になる。と、いうセリフが登場するが、正に、それが、ニューヨークに住む人々の特性でもある。

 信治は、ゲイに対して、特に偏見や差別意識を持っているわけではない。
 むしろ、美形のゲイが増えれば、その分、女性と知り合うチャンスが自分に巡って来るのでは……などと、姑息なことを考えているので、ケンがゲイであっても一向に構わない。
 女性に性的魅力を感じないオトコが、信治には、理解できないし、興味もない。「どうぞ、ご勝手に」ってなもんである。
 しかし、ケンと一緒に居る時に、自分に向けられるゲイ達の冷たい視線には、堪え難いものを感じていた。

 ケンは、ゲイにも、よくモテるし、また、ゲイだとも、思われる。
 ゲイ達が、ケンを見つめる眼は、あたかも、トレジャーハンターが宝の山を発見した時、あるいは、獣が獲物を捕える瞬間のようである。
 そして、隣りに居る信治を見て、「なんで、そんなの連れてるの?」「そんなのに付きまとわれて、気の毒ね」「ワタシの方が、いいわよ」と、言わんばかりの視線を浴びせる。

 信治は、そんな理不尽な屈辱感を味わなければならないことに、憤りすら覚える。
 そして、その度、大声で叫びたい気分になるのだった。
 違う。違うんだ!俺が、コイツと一緒に居たいんじゃなくて、コイツが、俺に付いて来るんだあぁぁ——と。(続く)
Writer 黒須田 流 
(原文まま)
*掲載号では、校正、編集したものを発行*
*お知らせ* 同コラムのバックナンバーは「アンダードッグの徒」のオフィシャルサイトの書庫に第1回目から保管してあります。お時間のある方は、そちらへもお立ち寄りください
2006年6月16日号(vol.124)掲載
by tocotoco_ny | 2006-06-15 12:21 | アンダードッグの徒
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