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vol.136/最悪—22<黒須田 流>

 ケンは、生まれて初めて、拘置所に入ったので、最初は、どんな酷い目にあわされるのかと、緊張していたが、先輩の囚人達は、皆、ケンに親切だった。
 房長の佐々木は、詐欺罪で問われていて、現在、裁判の最中だと言っていた。他も、窃盗やケンと同じように覚醒剤取締法違反の罪で捕まった連中で、殺人などの凶悪犯はいなかった。
 同部屋全員の仲も良く、意外と和やかな雰囲気だったので、ケンは安心した。
 ただ、一つ、高田という男の、粘りつくような視線だけが、気になった。
 
 新入りのケンが、一番年下だったこともあり、まずは、トイレの掃除当番をさせられた。
 トイレは、看守達から見えるよう、透明のプラスチックの板で仕切られていて、しゃがんだ時だけ、一部が隠れるぐらい黒く塗られている。
 様式は、水洗の和式型だが、消灯時間の午後8時半以降は、水が流れなくなる。そのため、消灯の前に、看守に、「便水お願いします」と、申し出て、バケツ2杯の水を用意しておかなければならない。
 その他、異なる点と言えば、トイレのドアの上部分に、丸みがかっていることである。これは、タオルなどを引っ掛けて、首を吊ったりするのを防止するためである。

 ケンは、新宿警察署でも、不自由さを感じたが、やはり、拘置所の生活は、留置所とは比べものにならないくらい、厳しいものだった。

 まず、夜、眠たくもないのに、寝なくてはいけないこともそうだが、起床が午前6時30分と、早起きが苦手なケンにとっては、これが苦痛だった。
 食事は、麦の混じったゴハンが主で、白い米しか食べたことがないケンには、いくら、栄養があると言われても、マズイものは、マズイ。これなら、化学調味料たっぷりのカップラーメンの方が、マシだと思った。
 しかし、食べ物に関しては、多少、緩やかな面もあり、「願い事」に記入すれば、缶詰めやスナック類を買うことはできる。もちろん、自費で、支払い方法は、各自が拘置所に預けているカネの中から引かれる。
 ケンは、入所する際に、20万ほどの所持金があったので、助かった。おかげで、逆に、食べ過ぎてしまい、出所する時の方が、太っていたほどだ。
 この「願い事」は、食料品だけでなく、書籍や切手なども購入できる。ただし、「願い事」は、毎日、午前中に1度だけである。
 また、大抵、どの部屋でもやっていることだが、同部屋同士でカネを出し合って、雑誌や食料を買い、シェアしたりもする。
 「風呂」は、冬場は2回らしいが、ケンが入所していたのは、夏場だったので、週3回だった。と、いっても、入浴時間は、せいぜい5、6分で、ゆっくり湯船につかっている余裕などない。しかも、湯の中に、手を入れることは許されず、両手を前に出したままの姿勢で湯船につからなければならない。
 そして、なによりも、つらかったのは、看守の態度が、陰湿で、陰険だったことだ。

 彼等にとってみれば、拘置所に囚われている人間は、単なる「刑」が確定していないだけの「罪人」に過ぎない。と、考えるのは、無理もないことなのかもしれない。
 拘置所には、その種類は違っても、罪を犯した、様々な人間がいる。下手に、あまい顔を見せれば、自分の命にかかわる事態にならないとも限らない。
 しかし、それでも、やり過ぎだ、と感じることは、多々あった。

 ケンが、入所してから、十日ほど経ち、少しは、拘置所暮らししにも慣れてきた頃だった。
 蒸し暑い夜だった。部屋に、エアコンなど付いているわけがない。
 ケンは、寝苦しくて、夜中に、目を覚ました。
 何気なく、寝返りをうった時、隣りのフトンで寝ている高田の顔が目に入った。
 ドキリ、とした。
 高田は、目を開けて、じっとケンの方を見ながら、寝ていた。いや、寝ていなかった。
 いままで、ずっとケンの寝顔を見つめていたのだった。
 ケンと目が合っても、高田は、まったく表情を変えず、まばたきすらしなかった。
 
 拘置所内の規則で、消灯時間以降の私語は禁止されている。
 高田が、ひと言も喋らないのは、わかるが、それにしても、笑うなり、暑いな、というジェスチャアをするなり、なにかしらのリアクションがあってもいいはずである。

 ケンの背中に、イヤな汗が流れた。暑さの所為で出た汗では、なかった。
 ケンは、気まずくなり、不自然にならないよう、寝返りをうち、高田に背を向けた。
 しばらくして、背後で、動く気配を微かに感じた。ケンは、目をとじて、寝たフリをした。
 首筋のあたりに、生暖かい息がかかった。
 「ケンちゃん」耳元で、声を殺して、高田が囁いた。
 ケンは、目をつぶったまま、身体を固くした。
 「ケンちゃん…オレ、ケンちゃんのこと、ずっと……」高田は、囁きながら、ケンの股間に手を伸ばした。
 ケンは、耐え切れなくなり、身体を反転させ、高田を両手で押し遣り、
 「高田さん、やめてくださいよ。俺、ホント、そうゆうのダメっすから」と、小さな声で、言った。
 高田は、にやり、として、自分の唇を舐めて、
 「ケンちゃん、そんな淋しいこと言わないで。ねっ、仲良くしましょうよ」と、再び、ケンに体をすり寄せてきた。
 ケンは、無言で、抵抗したが、高田は、しつこく離れようとしない。
 ついに、ケンが、切れた。
 「テメエ、いい加減にしろよ!」
 ケンは、怒鳴り、高田の胸に拳を叩き込んだ、瞬間、
 「しまった」と、後悔したが、既に遅かった。

 コツッ、コツッ、コツッ……看守の足音が廊下に響いた。
 コツッ、コツッ、コツッ、コツッ、コツッ……だんだん、足音は、こっちに、近づいて来る。
 ケンは、フトンに包まりながら、「どうか、ここを通り過ぎてくれ」と、心から、願った。
 ……コツッ、コツッ、コツ。足音が、止まった。 
 「いま、喋ったのは誰だ?」
 看守は、無機質な声で、言った。ケン達の部屋の前だった。
 「……いま、喋った奴は、オモテに出ろ」
 規則を破った者が、この部屋の中にいることを確信している言い方である。
 部屋の誰もが、動かない。ケンも、寝てるフリを続けている。
 「……そうかぁ……、そういう、つもりなら、オマエ等、どうなるか、わかってるんだろうな」
 ガァーン。
 看守は、警棒で、鉄格子を叩いた。
 ケンは、ギクリとした。手が汗ばんでいる。
 「オマエ等、全員、オモテに出ろ!」看守は、命令した。
 ケンは、迷った。
 原因は、高田にあるが、声を出したのは、自分であることに違いはない。このままでは、部屋の者全員が、痛い目に遭うのはわかり切っている。連帯責任を被った他の連中は、明日から、自分に辛く、あたるだろう。
当の高田は、寝たフリをキメ込んだままだ。……どうしよう。
 「聞こえんのか、コラッ、『全員、オモテに出ろ』と、言ってんだ!」
 ガァーン。看守は、また、鉄格子を叩いた。
 ケンは、モゾモゾと、立ち上がった。(次号に続く)
(原文まま)
*掲載号では、校正、編集したものを発行*
*お知らせ* 同コラムのバックナンバーは「アンダードッグの徒」のオフィシャルサイトの書庫に第1回目から保管してあります。お時間のある方は、そちらへもお立ち寄りください
2007年2月9日号(vol.138)掲載
by tocotoco_ny | 2007-02-07 16:25 | アンダードッグの徒
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