人気ブログランキング | 話題のタグを見る

vol.02/無名の人々<aloe352>

■運転手は友だち
 NYのタクシーに乗るのは、いささか勇気の要るものだ。初めて乗った時には、嫌がらせでもされているのかと思った。運転が荒いのである。運転手はうんともすんとも言わず、黙って目的地まで客を運ぶ。何度も利用するうちに、それは私への嫌がらせではなく、運転手が怒っている訳でもなく、少なくともNYではよくある光景である事がわかった。
そうなると、ごく稀に笑顔を見せる運転手に出会おうものなら、こちらはその日一日すごく得をしたような幸せな気持ちになるのである。
あの日もそうだった。その運転手は、笑顔ばかりか機嫌も良いようで、こちらとの会話も弾み、会話の合間には鼻歌まで飛び出す。ラジオから流れる音楽に身体を上下左右に揺らし、ハンドルを握る手でリズムをとる。いかにも仕事を楽しんでやっているのが後部座席にまで伝わって来るのだ。
心地よい雰囲気のまま、車は四車線の一方通行に入った。我が家はもうすぐだ。運転手は聞いてくる。
「右に止める?それとも左?」
一方通行の多いNYでタクシーに乗ると、必ず聞かれる質問である。私もこの道で、うんざりする程聞かれている。いつもなら「右?左?」と、言葉を発する事すら面倒くさそうな運転手の言い方に、「左でお願い」と、同じくぶっきらぼうに私も答えてしまう。しかし、この日は違った。気持ちの良い運転手に私も機嫌が良くなっていた。
「もちろん左。右側なんて、私には買えないもの。」 
道路の右側には、値の張る高層マンションが建ち並んでいるのだ。いつもの答えにほんの少し冗談を加えてみた。特別な返事を期待していた訳ではない。私はバッグから財布を取り出し支払いの準備を始めた。車は徐々にスピートを落とし、左へとスライドし始めたその時だった。
「大丈夫!」
突然運転手が言った。
「それでも君は、僕の友だちさ!」 
驚いてバックミラーを覗くと、満面の笑みでやはりこちらを覗いている運転手がいた。私は、思わず声を上げて笑った。笑いながら礼を言い、タクシーを降りた。
“友だち”の運転するタクシーの後ろ姿を眺めながら、それでも友だち、マンションを買えなくても友だちと、私は頭の中で何度も繰り返してみた。そしてその度に笑いがこみ上げてくるのだ。
雰囲気は伝染する。楽しい人の近くにいると、こちらまで楽しい。悲しんでいる人の近くにいると、こちらまで悲しくなる。感情は、いつの間にか体内から体外へと溢れ出し、そして気づかぬうちに周りの人々へと影響するのだ。
それが、タクシーという狭い空間なら、言葉を交わさずとも互いの様子を伺い知れてしまう。例えそれが、たった5分の移動だとしてもだ。
その運転手は、うかない顔で乗り込んだ私を、笑顔にして降ろした。たまたま客として乗り込んだ私を、友だちと呼んだ。もちろん彼には、特別なことをしているという自覚はこれっぽっちもなかったと思うが。
タクシーから降りて、家までの僅かな道のりを歩きながら、私はいつもの自分を反省してみる。見知らぬ人ばかりいるこの街だけど、もう少し、笑顔でいてもいいかもしれない。
NYのタクシーに乗るのは、いささか勇気の要るものだ。しかし、私は最近、タクシーに向かって手を挙げる度、あの友だちが運転するタクシーが止まるのではないかと、わくわくする。
(原文まま)
*掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行*
*同コラム作者のブログ「今日見た人、会った人」にもお立ち寄りください。
2007年8月31日号(vol.151)掲載
by tocotoco_ny | 2007-08-29 01:33 | 無名の人々
<< vol.30/THE unti... August, 17. 200... >>