相撲の5月夏場所では、久しぶりに横綱以外の大関琴欧洲が優勝した。14日目にすでに優勝が決まっていて、千秋楽をテレビで観ていた僕は「朝青龍と白鳳の横綱対決で殴り合いでも起きたら面白いだが」などと思っていたら、本当にそんな取り組みになった。はたき込まれて手をついてしまった白鳳に対し、朝青龍が故意か勢い余ってのことかわからないが、さらに突き押しを加え、それに怒った白鳳が朝青龍の胸を右肩で突いた。そしてにらみ合いがしばらく続いた。僕は思わず「面白れえ」とテレビに向かって両横綱に拍手した。すでに優勝が決まっている上での、千秋楽の横綱対決で両力士はきっちり盛り上げてくれて、素晴らしいと思ったのだ。ところが、その取り組みに対してNHKに苦情の電話が相次いだらしい。そして、「横綱審議委員会」なるものが、「横綱の品格に欠ける」とのコメントを出し、両横綱は厳重注意を受けた。マスコミのインタビューに対して、白鳳は「冷静さに欠けていた」とコメントし、朝青龍は「深く反省している」と反省の弁を述べた。ここ何年も相撲界を盛り上げてきた横綱ふたりが、何であの程度のことで謝らなければいけないのだろうか。僕は全く理解できない。だいたい「横綱審議委員会」などというものが、なんで偉そうに横綱に対してクレームをつけるのだろうか。「横綱審議委員会」なんて必要ない、と僕は思うのだ。数年前に発売された「国家の品格」や、それに続いて発売された「女性の品格」といったベストセラーの書籍によって、「品格」という言葉があらゆる場面で持ち出されるようになったが、横綱に品格など入らない。絶対的強さがあれば尊敬に価すると僕は考える。「相撲は日本の国技だから」などと言って、強ければいいというものではないと主張する人も多いが、国技と言いながら日本人は全然勝てないのである。両横綱はモンゴル人、今回優勝した琴欧洲はブルガリア人である。外国人に席巻されておいて「相撲は日本の国技」などと主張するのは笑止千万である。相撲にしても、ボクシングにしても、柔道や空手にしても、鍛えられた肉体と闘争心をもって相手と闘う格闘技なのである。そこで最も見ているものがワクワクするのは、決められたルールとルールからはみ出しそうになるその境界線で、互いの闘争心が最高潮に達したときである。それがスリリングで、見ているものが熱狂するのである。格闘技、あるいはもっと広げるならばスポーツというものに対して、必要以上に「正々堂々」だとか「健全」だとか「品格」などを持ち出したら、つまらなくなるだけだと僕は思っている。鍛えられたもの同士だから可能になる「危うさの演出」「戦いのフィクション」こそがスポーツの醍醐味である。
さて、今僕の息子は小学5年生でサッカーをしているが、試合を観ていてもあまりにも健全である。足を引っかけて相手を倒す場面がほとんどない。ゴールキーパーのボールに対して「オラオラ、潰すぞ!」などと大声を出してプレッシャーをかけにいく場面もまずない。僕が高校時代にやっていたラグビーにおいては、もちろんルールに基づいたスポーツであることには変わりないが、暴力や喧嘩の香りがプンプン匂っていた。僕はスクラムハーフという、フォワードから出たボールをバックスにまわすポジションをしていたが、巨体の相手フォワード達はいつもプレッシャーをかけてきた。ラインアウトになると必ず相手チームのフォワードが僕を睨みながら「ハーフ覚悟しとけよ、潰してやるからな」などと言ってくるのは、それこそ挨拶みたいなもんだった。言葉だけじゃなくて、僕がすでにパスし終わったあとでも、倒しに来ることなども日常茶飯事であった。フォワードのモールやラックなど、レフリーが見えないところでは頭突きや肘打ちなどもこれまたあたりまえに行われていた。味方チームも敵チームも、反則行為で顔や頭から流血するなんていうことはしょっちゅうであった。 運動会においても同じである。息子の運動会を見ているとあまりに健全で退屈なときがある。騎馬戦においても一騎ずつに教師が張り付いて監視をして、もみ合いやけり合いもないままに、あっという間に判定が下されてしまう。 スポーツ競技や運動会などのイベントにおいて、そこそこの暴力の匂いというものを残しておくことが、僕はかえって社会を健全に保つことだと考える。世の中において建前的に暴力を排除して無菌室な空間に仕立て上げれば仕立て上げるほど、それこそ信じられないような陰惨な犯罪がはびこるように思う。民主主義社会という、統制を厳しくせずにひとりひとりが自由に振る舞える社会においては、法律とかルールといった枠とは違うところの「常識」や「モラル」を厳しくしていけばするほど、落伍者が民主主義社会に復讐するという図式が必ず起きるのだ。それは快楽殺人であったり、英雄願望的な殺人であったり、猟奇的殺人といった形であらわれる。暴力に限ったことではないが、「その程度のことはいいんじゃないの」「朝青龍と白鳳のあの程度のことは面白くていいんじゃないの」「子供同士の喧嘩でそのくらいは問題にしなくてもいい」「芸能人の不倫くらいいいんじゃないの」「政治家のその程度の発言を、問題発言などとしなくてもいい」というように、許容範囲を広げておくような社会の空気を作っておかないと、狂気をもった落伍者からの社会への報復が必ず増えていくのだ。 (原文まま) *掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行* *友野康治オフィシャルサイト「LOVE MYSELF」へもお立ち寄り下さい。 2008年6月13日号(vol.168)掲載
by tocotoco_ny
| 2008-06-13 02:04
| ニッポンからの手紙
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