今は本当に不況なのだろうかと考えたとき、明らかに不況なのだと思う。原油の高騰や、アメリカの金融危機に端を発した世界同時株安も深刻な状況のようである。そして、保険会社に勤めている人間に聞くと、保険の解約が相次いでいるらしい。クラブのホステスに聞けば、客が本当に少ないと言っている。銀行の貸し渋りや貸しはがしで、中小零細企業の倒産も増加しているらしい。農業や漁業も国からの援助がないと、どうにもやっていけないという声を聞く。企業の正規採用の数は格段に減り、派遣という形で正規社員よりかなり低い収入で働いている人も多いらしい。ネットカフェ難民と呼ばれ、寝泊まりする自分の住居もない人も少なくないらしい。小泉改革によって、地方の疲弊はかなりのものだと連日のようにマスコミは報道している。
みんな事実なのだと思うし、僕はそれを他人事のように高みの見物をしているほど金持ちでもないし未来が明るいわけでもない。また僕は東京に住んでいるので、地方の事情というものをまのあたりにしているわけではない。それでも、僕は「今は本当に不況なのだろうか」と問うてみたりする。確かに、ある時期と比較すると、今の状況はかなり悪い状態で、収入も減っているから不況だと言われれば、不況なのだと思う。本当に資金繰りがどうにもならずに借金を抱え、家族を守るために自殺をして保険金を残そうとする人もいると思う。生と死の境をさまよっている人が多くいるのも事実だと思う。けれど同時に、「便乗不況嘆き者」も僕はかなりの人数いるような気がしてならない。「あの頃に比べると、随分収入も減り、前ほど贅沢ができなくなった」とか「生活は何とか出来ているけれど、いつ病気になるかもわからないのに、もしものときに備えるだけの貯金ができていない」とか「以前は年に1〜2度は家族旅行できていたのに、最近は旅行にも行けない」とか、その比較差をもって「不況だ」と言っている人が多いのではないかと思うのだ。 僕の友人の何人かも「不況」だとか「俺は貧乏だから」などと口癖のように言って、一緒に食事をすると僕がごちそうするハメになることも多いのだが、実際は給料の中から家賃や光熱費や食費などを差し引き、プラス数万の積み立てをして、その上で残金の自分が自由にできるお金が少ないから「貧乏だ」と言っている奴もいる。そして、僕などは貯金などもしないで有り金を使ってしまうものだから、貯金をしている「自称貧乏人」に貯金もしていない僕がごちそうするといったことがしばしば起こる。もっと言えば、友人はほとんど毎日外食をしており、僕はひとりのときはスーパーに行って「ほうれん草」や「ブロッコリー」は高いから買えない、やはり「もやし」だななどと野菜を選びながら自炊をしているわけである。内心、「おいおい、一体どっちが貧乏なんだよ」と言いたくなるが、僕は自分のことを貧乏だとは言わない。なぜなら、もやしだって十分美味しいからである。タバコだって買っているし、缶コーヒーだって1日1本は買っている。これは、貧乏とは言えないなと思うのである。そして、今僕は作家という仕事をしているが、作家なんて何の保証もないから、コンビニや牛丼屋やファミレスなどに行くと、必ずアルバイトの時給金額を確認する。その金額は東京と地方ではだいぶ差があるのだと思うが、深夜のバイトだと、だいたい時給は1000円くらいはもらえる。1200円くらいのところもある。1000円だとして、深夜23時から朝7時まで働いたら1日8000円。週1回休んだとして、月の収入は20万である。日本の、東京の物価状況を踏まえ、40歳を超えた者の給料として20万は、決して高給取りではない。バイトだとボーナスもないから、家族旅行なんてできない。高級焼肉屋だって行けない。ブランド物の洋服や靴だって買えない。でも、それが貧乏とか不況とかいうものだろうかと言うと、僕にはそうは思えないのだ。吉野屋の牛丼や立ち食い蕎麦くらいは食べられるし、タバコ(アメリカの価格だとタバコはきつくなるかもしれないが)1日1箱くらいは買えるし、ビールは微妙でも発泡酒1本くらいは飲めたりする。これは、金持ちとは言わないが、さりとて貧乏でもない。 別の角度から話をすれば、人間という生き物の精神構造はおかしなもので、自分の収入が20万で、周囲の人間も皆20万であれば納得をするのに、周囲に50万だの100万だの500万だのという収入の人間がいると、本当は周りの人間の収入がいくらであっても自分の収入が20万である事実は一緒なのに、「俺は貧乏だ」という意識が何倍も膨れあがるのだ。従って、自分の収入が100万であっても、周囲が1000万円の収入があれば「俺は貧乏だ」と必ず思うものなのだ。 ……福田首相の辞任後の自民党総裁選、あるいは来るべき総選挙に向けての与野党の論戦などを聞いていると、9割以上が社会保障も含めた経済の話、つまり「金」の話である。金のことも大事である。しかし、命と精神というものが守られた上に、その次に大事なテーマが金の問題だと僕は思っている。それは、衣食足りて礼節を知るといった、金があるものの立場で主張しているのではない。命がなくなりゃ、金が残っても意味がないでしょ、といった類のことを言っているのだ。そう考えると、経済の話も結構であるが、「北朝鮮の拉致問題」や「無差別殺人を即刻阻止するための保安の問題」や「無差別殺人や親子間の殺人を長期的に阻止するための教育問題」や「精神の自由や、心のありかたの基本となる憲法問題」「食の安全や、食糧不足に備えての農業問題」などなど、経済以外のテーマでもっと語られなければならない問題がいくらでもあるのに、なぜ経済一色になってしまうのか、とても不思議に感じる。貧乏を嘆くよりも、自分の最愛の家族が別の国家に拉致される方が遙かに深刻であるし、不況を嘆くよりも、自分の最愛の恋人が無差別殺人で殺される方が遙かに絶望するし、野菜の高騰を嘆くよりも八百屋やスーパーに野菜が全くなくなってしまう方が遙かに問題だ。そんな主張をしてくれる人に、総理大臣をやってもらい。 (原文まま) *掲載号では、誤字、脱字は校正し、編集したものを発行* *友野康治オフィシャルサイト「LOVE MYSELF」へもお立ち寄り下さい。 2008年10月17日号(vol.176)掲載
by tocotoco_ny
| 2008-10-18 07:30
| ニッポンからの手紙
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